ツバメ予報、猫予報みたいな、天気予測にまつわる民間伝承はたくさんある。
月に暈《かさ》がかかると翌日は雨とか、星が見える翌日は冷えるとか、下駄を放って裏なら雨とか(?)、雨が降る日は天気が悪い♪ソーラン、ソーラン♪とか…。(後ろの二つを科学的に実証したらノーベル賞ものか?)
これらの民間予報は、今から何百年も前の我々の先祖が発見したものだと思うが、昨日、ツバメ予報の話を書いていて、もし自分が何百年前に生きていたとして、先祖たちと同じような発見をできただろうかと考えた。
もちろん、すべての民間伝承は一つの時代、一つの地域、一人の人によって発見されたものではないはずだが、それにしても、果たして自分はそういう現象を見て多少なりとも何か気付くことはできただろうか。
おそらく自分だったボヤッとしていて気付かなかったようにも思うし、一方で、その時代だったら百姓だったろうから、農作業をしていれば否応なしにそれらの自然現象に目が向いたかも知れないようにも思う。
古代の、昔の人だから自然の知識が現代よりも少なかったということではなく、自然を見る目は現代人よりも鋭敏だった(鋭敏にならざるを得なかった)と思う。ワールドワイドウェブなどと言って、自分の部屋にいながら遠い異国のニュースを知ることができるが、部屋の外に咲いている草花、飛んでいる鳥のことは何も知らないのである。
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