2011/07/31

ワールドカップ予選 ウズベキスタンと同組に

サッカーワールドカップ2014年大会のアジア3次予選。昨日「もしも…」と書いた、ウズベキスタンと同組(Cグループ)に入った。

◆ワールドカップ3次予選のグループ分け
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/channel/live/show/soccer/228&manual=1

アウェーでの試合が9月6日、ウズベキスタンの首都タシュケントである。行きたい。けど、チケットの準備とか、自分の活動とか考えると、実現は無理そう。

ウズベキスタンの隊員に応援を託そう。よろしく~。

ちなみに、Cグループの4国は、日本、ウズベキスタン、シリア、北朝鮮。

シリアも協力隊派遣対象国で、かつての同期隊員に知り合いもいる。現在は、国内情勢が不安定化しているので、対戦国とはいえ、代表選手たちは練習する環境があるのかと気になる。アウェー戦では、日本代表チームがシリアに行くが、その時の現地の情勢がどうなっているかも心配の一つである。

2011/07/30

サッカーワールドカップ アジア予選。キルギス代表は…?

女子サッカーの日本代表「なでしこジャパン」が、ドイツで行われたワールドカップで優勝して、日本ではなでしこジャパンブームとなっていた。

そんな盛り上がりの陰(?)で、男子の代表のほうも、2014年の次のワールドカップに向けた予選が進んでいた。

アジア予選に関しては、実は密かに楽しみにしていたことがあって、それは、予選で日本とキルギスの試合を見ることである。ワールドカップの予選は、ホーム・アンド・アウェイでやるようなので、日本とキルギスが同じ予選グループに入れば、必ず1試合はキルギスで実施される。おそらく首都での開催だろうから、その時はわざわざ首都に出向いて、日本もキルギスも応援しようと思っていた。

ところが、事情に疎いというのは悲しいもので、予選で日本とキルギスがあたる可能性はまったくないことを、昨日初めて知った。

4次予選まであるアジア枠をめぐる争いで、日本は世界ランキングによってシードが与えられており、3次予選からの参加となっているそうだ。一方、キルギスは1次予選からの参加である。

1次予選は突破したようだが、2次予選では上位に食い込めず、次に進めないことが決定したようだ。つい先日の7/28に、キルギスで対ウズベキスタン戦があって、そこで大差で負けているのを含めて、ネットニュースで知ったのである。となれば、日本対キルギスの実現はあり得ない。

隣国ウズベキスタン代表は3次予選に進んでいるから、日本とウズベキスタンが同じ予選グループに入れば、ウズベキスタンで日本対ウズベキスタンの試合は見ることができる。もし試合があれば、ウズベキスタンに派遣されている協力隊員たちは見に行くんじゃないか。羨ましい。

予選グループの抽選は、7/30(現地時間)、2014年大会の開催国ブラジルで行われるそうである。

【参照サイト】
サッカー:2014年ワールドカップ・大陸予選抽選会

円高、進んでますなぁ…

ブログ更新がストップしていた間、対米ドルの円高がどんどん進んでいた。

7月のはじめ1ドル=80円後半だったのが、昨日・今日で76円台にまで円高ドル安になっている。

ドル安の影響は、キルギスにも及んでいるようで、米ドルの交換レートがこの半年間でどんどん下がっている。今年1月に、1ドル=47ソム(「ソム」はキルギスの通貨)までドルが上がっていたのが、今は1ドル=44ソムである。

これは、100ドルを両替したら、300ソムの差があるということになる。300ソムは約540円だから、日本円で考えるとさほどの金額には感じられないとも言えるが、キルギスで外食をしたら80ソムくらいで済むので、外食3.5回分と考えると、結構な額である。

海外旅行者・生活者にとっては、円高は有利なのだが、キルギスのようにドルを現地通貨に替えなくてはならない所では、ドル安の影響を受けるから、円高の差益も相殺されてしまう。

それにしても、円高はどこまで進むのであろうか。

ブログ、ご無沙汰してました…

当ブログの更新が3週間ほど停まってしまった。更新しようがしまいが、何という影響はないのであるが、更新確認のためにページを訪問していただいた人がいたら、悪いことをした。

この3週間は、夏休みを利用して、日本に一時帰国をしていた。8年前、協力隊に参加した時は、任期中の帰国は特別な理由がない限り不可であったが、何年か前から協力隊の規則が変わって、自己負担ではあるが任期中の帰国が認められるようになっている。

前回参加の時は「2年間帰国なし」を体験したので、途中で一時帰国するのはどんなものかという興味もあって、帰国してみた。いかんせん、旅費が自己負担なので、日本から遠い任国の隊員にとっては、任期中の一時帰国は非現実的なことであろうと思うと、後ろめたい気分もあった。といって、謝るというのも違うだろうし…。

1年ぶりの日本での生活で感じたこともあったので、それも追々書けたらと思う。

今は、自分の任地の村に戻り、2年目の活動に向けてぼちぼちとやっていこうというところである。ブログも、以前のペースで書くよう、周囲の出来事に関心を向けていこうと思う。

2011/07/15

日本語に関する質問

キルギスにおいては、我々日本人は「外国人」だから、我々が日本で「外人さん」たちにするような質問を受けることがたびたびある。

受ける質問の中でも多いのは、やはり日本語に関することである。

ブログのネタとしてだけでなく、これから海外で生活する予定の人(協力隊参加とか)は、ほぼ間違いなく、行った先で受ける質問であるはずなので、英語なり現地語なりで説明できるよう準備をしておくと、話が盛り上がるかも知れないと思うので、メモとして書いておく。

まず、必ず訊かれるのは日本語の文字。「日本語には何文字あるのか?」という質問。この質問は、毎回、答えるのに迷うのである。

日本人同士であれば、「ひらがな48文字」「カタカナ48文字」に加えて、「常用漢字千○○○字」みたいな説明で了解し合えると思うが、日本語と日本語の文字を知らない人にそれを言っても、ピンと来ないのが通例である。

ひらがな・カタカナは表音文字であり、文字を持つ言語のほとんどにおいては、文字とは音を表すための記号である(と断定しているが、これは私が知る言語の中で言っている)。英語、フランス語、ロシア語、マレー語…。これらの言語で使われている文字は、音を表すための記号である。

一方で、我々の先祖が大陸から学び入れた漢字は表意文字である。それぞれの文字には、固有の意味がある。“ピラミッドの壁に書いてある字”みたいなやつも表意文字であるようだが、表意文字を使っている言語は少数派であると思う。

日本語は、これらの表音文字と表意文字を同時に使っているという点でかなり特異な言語であるのではないか。

だから、「日本語には何文字あるのか?」という質問をされた時に、表音文字が○○字で、表意文字が○○字だと答えても、そういうチャンポン(混ぜ合わせ)をしている言語は人類の中では少数だから、なぜそういう答え方をするのかが質問者には伝わらないことが多い(個人体験談)。

2011/07/13

バザールの米穀店

キルギス人も米を食べるので、店では米を売っている。バザール(市場)ではこんな感じで売られている。


米の産地ごとに袋に入れられて、値段が書かれている。値段は1kg分の値段である。例えば手前のほうの「130」とあるのは、1kg=130ソム(キルギスの通貨単位)だから、日本円なら約200円というところ。

55ソムというのもあるから、これなんかは1kgで約100円。安すぎる感じがしてしまう。

写真を見ると、色々な色の米があるが、精米していないというだけでなく、米の品種自体がこういう色であるようだ。日本では古代米とかいって紫色の米が売られているのを見たことがあるが、世界の中にはそういう米を日常的に食べているところもある。彼らにしてみれば、白い米ばかりを食べている日本の食文化が不思議に見えるのだろうが。

2011/07/09

菜の花らしき

村から歩いて1時間圏内くらいの山の辺りをたまに散策する。

今は菜の花のような花が咲いている。ある場所に固まって生えているので、遠くから見るとそこだけ黄色く見える。

「菜の花らしき」と書いたのは、私のようなシロウトには菜の花に見えるのだが、ナノハナ科は結構種類が多くて、一見しただけでは菜の花かどうか判断が付かないのである。

かつて自分で青梗菜《チンゲンサイ》の種を蒔いて栽培したことがあったが、葉を収穫せずに放っておいた株がやがて花をつけたのを見たら、菜の花と同じ見てくれだった。調べてみたら青梗菜はナノハナ科であった。葉を食用にするものの中には仲間が多いようである。

2011/07/08

ブックレビューつまみ喰い

キルギスにいると日本の新刊書が手に入らない。その対策という訳でもないが、ネット上の書評サイトで、どんなのが出版されているかとか、どんな本が流行っているのかとか、本の概要はどんなか、など見ている。

大手新聞社のウェブサイトには紙面掲載された書評が転載されている(すべてではないかも知れない。そうしないと新聞の購読が減ってしまうから)。

それ以外に、アマゾンでも各書籍(CD・DVD、PC機器なんかも)のレビューが書かれている。実際、日本にいる時もアマゾン・ブックレビューは結構参考にして買うかどうかを決めていた。

唐突だが、最近、アマゾンでブックレビューが充実していた本。

小出 裕章『原発のウソ』(扶桑社新書)

時節柄、原発への関心の高まりもあって、新刊書なのにレビュー数は多い。一方、レビューで酷評されている本もあって、著者には悪いが、そういうレビューを読むのも楽しい。

橋爪 大三郎、大澤 真幸『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書)

著者は二人とも著名な学者なのにね…。

アマゾンの場合、ウェブブラウザのcookieを有効にしていると、自分の過去の閲覧・購入履歴が記録されて、そこから「あんたの興味ありそうな本はこんなでしょ」と言ってくる。自分の興味の傾向に基づいているので、食指が動く本が出てくる。これは面白い機能なんだが、一方でそういう情報が自分の知らないどこかに蓄積されているのは空恐ろしい気も…。

今は、大手の書店は自身のサイトを持っていて、そこでも書籍の紹介が見られる。こちらは一般読者のレビューではなく、各売り場(児童、科学、文学など)の担当者がお薦めポイントを書いているので、アマゾンのレビューとは違った視点・書き方で面白い。新刊書の紹介が中心だが、何かの企画に関連して過去の出版物でもまとめて紹介されることがあるので、これも参考になる。

2011/07/07

自然を見る目

ツバメ予報、猫予報みたいな、天気予測にまつわる民間伝承はたくさんある。

月に暈《かさ》がかかると翌日は雨とか、星が見える翌日は冷えるとか、下駄を放って裏なら雨とか(?)、雨が降る日は天気が悪い♪ソーラン、ソーラン♪とか…。(後ろの二つを科学的に実証したらノーベル賞ものか?)

これらの民間予報は、今から何百年も前の我々の先祖が発見したものだと思うが、昨日、ツバメ予報の話を書いていて、もし自分が何百年前に生きていたとして、先祖たちと同じような発見をできただろうかと考えた。

もちろん、すべての民間伝承は一つの時代、一つの地域、一人の人によって発見されたものではないはずだが、それにしても、果たして自分はそういう現象を見て多少なりとも何か気付くことはできただろうか。

おそらく自分だったボヤッとしていて気付かなかったようにも思うし、一方で、その時代だったら百姓だったろうから、農作業をしていれば否応なしにそれらの自然現象に目が向いたかも知れないようにも思う。

古代の、昔の人だから自然の知識が現代よりも少なかったということではなく、自然を見る目は現代人よりも鋭敏だった(鋭敏にならざるを得なかった)と思う。ワールドワイドウェブなどと言って、自分の部屋にいながら遠い異国のニュースを知ることができるが、部屋の外に咲いている草花、飛んでいる鳥のことは何も知らないのである。

2011/07/06

ツバメ予報

ツバメの巣立ちを見た村を発つ日、お世話になった家の人が途中まで見送ってくれた。

その時、ツバメが飛んでいるのを見つけ、ロシア語で何か言っていた。意味が分からなかったので聞き返すと、ツバメを指して「あの鳥が低く飛んでいると雨が降る」とのことだった。

へぇ。日本でも同じことが言われる。

低気圧が迫っているのをツバメのセンサーは感じて、高い所は飛ばなくなるというメカニズムなんだろうが、ツバメに組み込まれたメカニズムは場所が変わっても同じなのは当然なのだから、日本でもキルギスでも同じ現象が起こるのも当然か。

いや、考えようによっては、同じツバメといえども遠く離れた所で適応したら、種内差(なんて言葉はないと思うが)が起こる可能性もあるんじゃなかろうか。世界のどこかには低気圧が近づいても高く飛ぶツバメもいるのかも。

もう一つ興味深く思ったのは、ツバメが低く飛ぶのを見て、日本・キルギスそれぞれの先祖が、その後に雨が降りがちなことに気付いたことだ。

同じ場にいて、同じ現象を見ていても、人が違えば見ること・考えることが全然違うことはよくある。日本とキルギスと、お互い離れた地域にいる人々が、同じ現象に同じ発見をしたのは、ちょっとした不思議であるような。

ああ、そうだった。ツバメの話が出たのだったら、猫予報(猫が毛繕いすると雨が降る)のことも訊いてみればよかった…。

2011/07/05

ツバメの巣立ち

ロシア語で書いた記事の再掲だが、とある村のお宅へお邪魔した際、ツバメの巣を見つけた(見つけたというよりは、その家の人が教えてくれた)。

家に入る階段を2段上がると、中に入る扉の前に3畳ほどのスペースがあり、外から見ればそこは建物の中のようになっている。つまり外敵から見つかりにくい場所である。

tsubame2

キルギスに来てからツバメは度々見かけたし、巣も見たことはあったが、雛がいる巣は今回が初めてであった。

5羽の雛。既に成体に近いように思われるほど成長しており、巣に収まり切らない感じであった。

tsubame

そのお宅で泊まって、翌日。巣を見ると、雛たちはいなくなっていた。正確には、朝見た時に、巣の中に2羽しか見あたらなく、「あれ?」と思ったのであるが、午後になったらすべての雛がいなくなっていた。前日が、巣立ち前の最後の姿だった。

ただ、雛たちがすぐに自分で餌を獲れる訳ではないようで、巣から出たすぐ前の電線に巣立った直後の雛たちと思しきツバメがとまって、親鳥が餌を運んでくるのを待っていた。

esamati(巣を出たあとも親鳥からの餌を待つ雛鳥たち。
おや? 4羽しかおらぬ。1羽はすでに自立したか?)

2011/07/04

電気代にまつわる奇妙な記事

ネットニュースに、20年後の家庭での電気代の試算に関する記事があった。

20年後の電気料金、原発撤退なら月2千円増

原発から撤退し、それ以外の自然エネルギー発電に移行すると、発電コストが上がって家庭の電気代は月に2000円程度上昇する見込みだという。

試算では色々な要素を入れて、それぞれの影響を考えているのだろうが、この記事を見る限り、放射性物質の残滓処分にかかるコストについては言及がない。そういうのはコスト計算に入れないことになっているのだろうか? だとしたら奇妙奇天烈な印象がぬぐえない。

フクシマ原発のように、一度、「想定外」の出来事で重大な崩壊が起これば、それへの対処に膨大なコストがかかってしまう。今や発電機能を持たない原子炉を冷却し続けるために、これから何年、何十年と冷却作業を続けなくてはいけない。その費用は電気代には上乗せされないのか? 東電の電気代に含まれないのだとしたら、誰が何の名目でその費用を出すのか?

さらに、電気代が月に2000円上がるか、下がるかが今さら問題なのか、という気がしなくもない。

ことは電気代だけの話ではなくなっているのは、誰でも実感していることではないのか。出荷予定の野菜から放射能が検出された、出荷停止せよ。どこそこ地域の野菜は怖いから食べるなという風評。そもそも日本からの食品輸入はストップしようという他国の対応。

これらの話だけをとっても、一家庭の電気代が月々2000円安くなったからといって補なえる訳はない。そもそもその土地に住めなくなり、仕事を失った人たちの生活すべてに関することは、試算の要素として加えなくてもよいのか? 電力会社がそれへの補償金を払うとなったら、電気代に上乗せになるだろう(フクシマ原発周辺の住民への補償は必ずなされるだろうから、試算にも加えているかもね。ただ、新たな事故が起こった場合の補償額は含めているのかどうか)。

こんなことを考えると、どこそこの機関からの「原発を維持したほうが電気代が安くなりますよォ~」というアナウンスに、何か作為があるのではないかと疑わざるをえない。奇妙也、奇天烈也。

2011/07/03

こんな所にも青空文庫

お世話になっている青空文庫のPRという訳でもないが、青空文庫が公開しているテキストデータは、百均ショップで売られている100円の文庫にも使われている。

それに、--以前も紹介したが--、電子辞書の機種によっては「日本文学100選」みたいな形で青空文庫が入っている。私が使っているロシア語辞書の入った機種には300の小説・随筆が入っている。夏目漱石、芥川龍之介、太宰治なんていう大御所(という言い方が適当?)の主要作品は大体入っている。

テレビの通販番組(ジャ●ネット●か●など)で、電子辞書の紹介をする時、どれだけのコンテンツが入っているかを売りにしていて、国語大辞典、国語辞典、漢和字典、英和・和英、英英などの他に、カタカナ語辞典、家庭の医学などが入っていて、それに加えて「小説が300作品」と念を押し、実際にそれだけの辞書・小説類を机に並べて、「これ全部が、この電子辞書1冊にすべて収まっているんですよっ、皆さん!」と口角泡を飛ばさんばかりに宣伝する光景をよく見た。「おいおい、そんなの使うことねぇだろ!」とテレビの前でツッコミをして笑っていたが、キルギスに来たら役に立っている。

青空文庫は、ページ数の概念がないので、自分が全体のどれくらい読んだのかの見当がつかないのが、私にとっては難点ではある。青空文庫関係のフリーソフトはたくさん出ているようだから、そういう不便を解消してくれるソフトがあるのかも知れぬが、今の所、そちらの方の検索・試用はしたことがない。

2011/07/02

日本語の本が買えないので…

海外で日本の本を手に入れるのは難しい。インターネット通販での購入も、日本国内なら今や送料無料が当たり前になっている(震災後の節約が、キルギスまで送料を考えると、1冊、2冊の単位では気易く利用できない。

で、青空文庫のように、著作権の切れた小説などをテキスト化しているサイトからファイルをダウンロードして読んだりする。

青空文庫 http://www.aozora.gr.jp/

青空文庫はすべてボランティアによる手作業の打ち込み、それに加えて、打ち込んだデータが底本と違っていないかをチェックする別のボランティアもいるようである。文庫本で数百ページになるような小説を、コツコツと打ち込んでいってくれている人々に感謝。

新しい本の入手は難しいのだが、青空文庫のおかげで名前だけ知っていて読んでいなかった昔(明治、大正、昭和初期)の小説を読むきっかけになった。中には、タイトルから勝手に内容を想像していたが、読んでみたら全然違う筋だったものもあって、独り恥じ入る。

2011/07/01

揺れの訓練?

キルギスの道路路面が凸凹しているために、車は揺れが大きく、長距離マルシュルトカに乗っている幼児の首が痛まないものか心配だであると書いた。

先日、ちょっとした成り行きで2歳児のお守りをすることになり、村の中を乳母車で散歩に出た(その子の母親はその間に夕食を準備。幼児がいる家は用事をするのが大変なのは、古今東西、人類共通であろう)。

キルギスはおろか、日本でも乳母車を押すことなどない人生を送ってきている身で、この時気付いたことがあった。

村の道は石ばかりで、乳母車を押すのに難儀するし、乳母車は絶えずガタゴトと揺れ続ける。乗っている幼児は当然揺れを受けるのだが、ケロッとして乗っている。

そうか、キルギスの子供たちは、こうして小さい頃から凸凹路面に慣れていくんではないか?

buggy
(凸凹道、幼い兄姉が弟妹の乳母車を押す。村ではよく見る光景だ。)