最後の一粒

日本から書籍類を送ってもらった時に、家族が日本食もいくつか入れてくれていたのだが、その中に梅干があった。

日本にいる時には毎日梅干を食べていたわけではないが、海外生活の身にとって梅干は「ザ・日本食」の代表格みたいなものであり、あるとホッとする存在である(かなり思い込みで書いているが…)。

昔、協力隊OBの先輩が、「梅干って、別にいつも食べたいわけじゃないんだけど、『梅干がまだ残っている』ということがいざという時に心の支えになるんだよねぇ」みたいなことを言っていて、まあ、それは梅干以外にも人それぞれそういう物があるんだろうけど、その話にはどこかうなずけるものがあった。

日本から送られた梅干も、自炊の時なんかに白米と一緒に食べたりしていたが、上の話が心のどこかにあったこともあり、最後の一粒は「いざという時」のために食べずに残していた。まだ、それは残っている。

では「いざという時」はいつなのか、どんなことがあるのか、と訊かれれば、おそらくそんな時は来ないのである。いや、「いざという時」が来たとしても、梅干一粒で対処できる・できないの話にはならないことはほぼ間違いない。

でも、「いざという時」のために梅干が一粒残っている、ということが大事である。たとえば体調を崩した時、「梅干を舐めればよくなるかも」という状況であっても、最後の一粒だから「いや、待て。もっと大変な体調不良が来るかもしれないから、今はまだ梅干の出番ではない」と思いとどまる耐力(?)が生まれるのである。

ということは、「いざという時」に備えるということは、「いざという時」の到来を延期させていることにもなるのかもしれない。「いざという時」のために用意した道具・手段を封印すれば、それ以外の道具・手段を考案しなければならなくなる。そして、意外にそれはそれで何とかなるのである。

このように、最後の一粒となった梅干の効用を書いてみたのだが、読まれた方には意味が伝わっただろうか。問題なのは、こんな風にして残っている日本食が他にもいくつかあることなのである。日本のインスタントラーメンの最後の一袋、塩昆布の最後の一袋、七味唐辛子の最後の一缶、生しょうがの一チューブ…。

これらの中には、先輩隊員から引き継いだ物もある。そして、私も残っている物は後輩隊員に引き継ぐのである。それらが活用されるような「いざという時」が彼らに来ないことを祈りつつ。

umeboshi
(残された最後の一粒の梅干。これを食す時は来るのか?
というよりも、これ、まだ食べられるのか?)

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