2010/11/13

ТАКОЙ ЖЕ ЛЮДИ В ТЮРЬМЕ... (塀の中の人々のような…)

前に紹介した青空文庫から大杉栄の『獄中記』をダウンロードして読んだ。

明治から大正にかけて無政府主義者として活動した人である。当時の法律に違反した廉(かど)で何度も入獄したようで、監獄でのその見聞・所感を書いたものであった。

その中の一節に、

 また少々さもしい話になるが、出る[補注:刑期を終えて出所することをさしている]少し前には、出たら何を食おう、かにを食おうの計画で夢中になる。(大杉栄『獄中記』)
というのがあるのを読んで、思わず独り笑いをしてしまった。

協力隊の隊員が任期終了間近に控え、一緒に帰国する同期では互いに「おう、帰ったら、まず何を食べる?」という話題で盛り上がるのが常である。

否、帰国間近の隊員だけでなく、着いて2~3ヶ月もすると、「あぁ、○○食べてぇなぁ」「俺は△△だな」という話に花を咲かせる。もっとも、この手の話をし始めると、途端に望郷の念が強くなるので、キルギス22-1同期隊員の中では、互いに「日本の食いモンの話はナシ!」と取り決めている。

で、引用した大杉栄の『獄中記』の話も、同じような話なのでおかしかったという訳だ。食べ物というのは、必要欠かざるものであるだけに、それが制限された環境にいると、その束縛が解けた時には思う存分、好きな物を食ってやろうと思うもののようである。

してみると、我々協力隊というのも塀の中の人々と同じような心持ちで暮らしているという訳だ。ハ、ハ、ハ。

大杉の文章には続きがある。

しかし出て見ると、ほとんど何を食っても極まりなくうまい。
 まずあの白い飯だ。茶碗を取り上げると、その白い色が後光のように眼をさす。口に入れる。歯が、ちょうど羽布団の上へでも横になった時のように、気持ちよく柔らかいものの中にうまると同時に、強烈な甘い汁が舌のさきへほとばしるように注ぐ。この白い飯だけでたくさんだ、ほかにはもう何も要らない。(大杉栄『獄中記』)

ああ、ますます協力隊隊員同士でする話題と同じだ。「白い飯」の話は何よりも避けていたのに、ついつい書いてしまった。

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