2010/11/16

定番! 「断水」「停電」

私のブログにもいくつかリンクを貼っているが、協力隊のブログを読むと、必ず出てくるのが「断水」と「停電」の話。

キルギスでも、ご多分に漏れず断水・停電はある。田舎だけでなく、首都のビシュケクにいた時にも体験した。任地のバコンバエバ村では、もっと頻繁に起こる。

でも、こちらの人たちは動じない。日常の中に、そういうトラブルが起こることを勘定に入れて生活している。つまり、水はいつもバケツに溜めておく。懐中電灯は手短な所に置いておく。いざそういうことが起こったら、「あぁ、やれやれ」と二言三言ぼやいた後、淡々としている。

こういう感覚に馴染んで来ると、断水・停電がいちいち新聞の記事になる日本っていうのは、一体何を騒いでいるのかと滑稽に思えてくる。

「日本は電化が進んでいるから、途上国とは比べものにならぬくらい影響が大きいのだ。騒ぐのは当然だ」。なるほど、そういうことはあるかも知れない。「水道局の、あるいは電力会社の危機管理体制が脆弱だ」と責任を問い詰める日本人の気質が、諸々の設備・技術をより高度・精密にしていった面はあるだろうから、それは一概に悪い面ばかりではないだろうが、何でも彼でも誰かのせいにしてばかりで、最終的な我が身を守る術(すべ)を自分で確保しておかないとすれば、トラブル発生時にはオロオロするばかりであろう。

あるいはこういう見方もできるかも知れない。

日本では、日頃、水道や電気が止まるということを心配しなくてもいいくらい、設備・技術は高い。しかし、そういうトラブルに不定期に襲われる生活をしていないと、人間というのはトラブルに備える努力をしなくなる。

サバイバル能力が高まるのは、トラブルへの遭遇が頻繁である結果ということになる。サバイバル能力を磨かずとも安心して暮らせる環境というのは、それ自体は素晴らしいが、本当にいざとなった時の適応力を弱くしてしまう。

トラブルへの適応力を付けるために、今思いつくアイデアとしては、たまに家の中ででも“サバイバルごっこ”とでも称して、電気を消して、バケツに溜めた水だけで暮らすというのをやってみる程度か。結構、楽しそうだけど、私の場合、絶対テレビを見たい、インターネットをやりたいとなって、挫折するだろうなぁ…

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