2011/04/30

被災地の発達障害児

毎日新聞のウェブサイトから転載(下段↓)。

自分が仕事をしてきた分野の話で、今回の地震の後、このような障害のある子供・成人は困っているはずだと思っていたが、おむつのサイズがないなど、私の想像外の話もたくさんあるようだ。

「障害が見た目には分からず、娘が騒ぐと『しつけが悪い』と言われる」

これが、発達障害児の親にとっては一番しんどいことである。発達障害児と接したことがない人に、すぐに分かってもらうのは難しいとは思うが、発達障害はしつけが悪いからおきているのではなく、しつけ責任論が障害児の家族を苦しめることは知っていただきたい。

それにしても「大船渡市は市内の発達障害児を約30人と見ている」って、少ないような気がするんだが、大船渡市って、そんなに小さな市なんだろうか? 「軽度」発達障害児の人数を話しているのか?


東日本大震災:発達障害児の親孤立 避難所避け届かぬ支援

 はた目には分かりにくい発達障害の子どもたちとその親に、東日本大震災の被災地で行政などの支援が十分届いていない。乳児のような夜泣きなどの症状が周囲の理解を得られず、避難所でつらい思いをするケースも多い。岩手県大船渡市の患者を訪ねた小児科医の根津純子さん(37)=東京都世田谷区=は「ただでさえ困難な避難所生活で、さらにストレスがかかり孤立化している」と指摘する。

 軽度の発達障害がある長女(4)の母親(25)は根津さんに打ち明けた。「いっそ家と一緒に流された方がよかったとさえ考えた」。自宅が津波に流され、近くの公民館で避難生活を送る。夜泣きの苦情を恐れ、車中で夜を明かしたこともあった。「障害が見た目には分からず、娘が騒ぐと『しつけが悪い』と言われる」

 長女は大きなサイズの子ども用おむつを使う。頼みの救援物資は成人用と普通サイズの乳児用が主で、大きなサイズは数少ない。「なんで大きい子が」「また来た」。冷ややかな目線を感じ、いたたまれなくなった。

 かつて同市で勤務し相談に乗っていた根津さんがおむつを持参すると母親は感謝しながらこぼした。「せめて同年代の子どもをひと部屋にまとめてくれたら母親同士で支え合うこともできるのに」

 発達障害の長男(7)がいる同市の野田悦子さん(37)は被災を免れた高台の自宅で暮らす。3月末まで断水が続いていた。「津波で浸水したとしても少しでも使えるスペースがあったら自宅で過ごしていた」。長男は興奮すると、大人が見ていてもテレビを消すなどのいたずらをするので避難所暮らしは考えなかった。だが、仮設風呂設置などの生活情報や食料に事欠いた。

 大船渡市は市内の発達障害児を約30人と見ているが、そのうち、津波で家を失うなどして支援が必要な人数は分かっていない。どこに親子がいて、どんな要望があるのか、ニーズの把握が難しいという。市は、大型連休中にも市内の福祉施設を高齢者や障害者が集まる「福祉避難所」に指定する予定だ。だが、排せつ介助の必要な高齢者や重度の障害児が優先され、発達障害の子どもたちが入所できる見通しは立っていない。【徳野仁子】

4月12日は記念日だった

とうに日数が過ぎているが、旧ソ連の国にいて、キルギス人からちょっとだけ話が出ていたのでブログに記録しておく。

4月12日はガガーリンの記念日だったとのこと。その日に、職場のスタッフから「今日は宇宙の記念日だぞ」みたいなことを言われ、どうしてかと尋ねると「ガガーリン…(あとは聞き取れず)」と言っていた。

ガガーリンと言えば、人類初の宇宙飛行をした人物だから、日本人の私だって知っている。4月12日はガガーリンに縁《ゆかり》のある日だから、記念日になっているということだろう。

しかし、「縁」と言ったってどういう縁なのか。誕生日なのか、宇宙飛行に成功した日なのか。こういう時はウィキペディアで検索。色々と批判もあるし、私もすぐにウィキペディアで検索する癖は、自分で物事を調べる能力を劣化させていると思いつつも、すぐに情報が出せて便利なのと、海外にいる現状では仕方ないと割り切って(言い訳して)使ってしまっている。

◆ウィキペディア
「ユーリイ・ガガーリン」の項

記念日になっている4月12日は、1961年に彼が宇宙飛行を成功させた日であった。ウィキの記事には、当時の東西冷戦を背景に、色々なエピソードが書かれていておもしろかった。今の20代の人には「冷戦」なんて言っても、実感がないんだろうね。当時は「ソ連は自国に都合の悪い情報を隠している」と、ソ連政府を悪く言ったものだったが、考えてみれば、どの時代だって為政者は自分の都合の悪い話は出さないものだ。問題はどこまでを「都合が悪い」と捉えるかの差である。

ウィキの「ガガーリン」の項の中にあった、アネクドート(анекдот)も愉快であった(「アネクドート」とはロシア語で「ジョーク小咄《こばなし》」のことである)。

「神はいなかった」

ちなみに、キルギスではこの日は祝日でもなんでもなかった。

あ、宇宙の話だから一応「天文」のタグを付けておこう(「天文」タグは久しぶり…)。

2011/04/28

地名に託された智恵

ちょっと前になるが、東日本大震災に関する次のようなネット記事が私の目を引いた。

東日本大震災:先人は知っていた 「歴史街道」浸水せず
http://www.mainichi.jp/select/wadai/news/20110419k0000e040095000c.html?inb=yt

江戸時代の宿場をつなぐ街道と、今回の大地震によって起きた津波で浸水した所を地図上で重ねると、江戸時代の街道は津波の浸水域を避けて整備されていたらしい、という話である。なるほど、そういうこともあってもおかしくないだろうな、と思う。

この研究をしている大学教授のコメントとして「先人は災害の歴史にめて謙虚だった」とある。江戸時代と現代では人口密度などの条件が違うから、単純な比較はできないだろうが、でも確かに古人と現代人に「謙虚である・ない」という点で差があるのは事実だろう。

私自身のことだが、「ここまで科学が発達した世の中だから、災害が起こっても、科学技術で何とかなるだろう」という科学や技術に対する過信があった。でも、どんな科学技術をもってしても、人間の都合の良いようにはできない事象・事態がこの世には存在する。そんなことをまざまざと突きつけられた、今回の大地震・大津波であった。

そういう「どうにもコントロールできないこと」に対して、古人がとった方策は、「そこに近寄らない」ことだったということか。数十年、数百年前の津波の記憶が、村の中で引き継がれて、どこそこは危ないから住むなよ、と言いながら村・町が作られていったのだろうか。

そういう伝承が途絶えた点も、その理由を推察してみると興味深い。今より情報伝達ツールの種類は少ない時代のほうが、必要な情報が厳選されて伝承されていたのだろうか? また、近現代は人の移動が容易になり、また人口も急激に増えたから、住処《すみか》を求めて外部から人が流入してきたのも、伝承が途絶える要因だったろうか? などなど。

今回の大地震の話ではないが、全国各地、それぞれの地名というのは、その土地の地理的特徴、歴史を表わしているものが多いのだとか。例えば「○○ヶ淵」「○○沼」みたいな地名のところは、その昔は沼地であったところである。今は埋め立てて、人が住んでいるかも知れないが、そういう所は、土地が湿気がちだったりするらしい。

1年前くらいまでNHKで放送されていた『ブラタモリ』という番組は、古地図愛好家でもあるタモリが、古地図を片手に東京の中をぶらつくという趣向で、とても面白かった。その番組の中でも、地名に託された(あるいは隠された)地理的特徴・歴史的事件の話が頻繁に出てきて興味深かった(と同時にタモリの博識にも感心した)。

かようにして、地名には、古人からの生活の智恵が託されていることもある(もちろん、「沼」と名付けたのは、そこが本当に沼だったからで、子孫に智恵を託そうと企図したのではないかも知れないが)。だから、地名というのは軽々に変えるべきではないと私は思っている。今現在の私たちにとっては活用されることがないかも知れないが、数十年後の人たちにとっては役に立つかも知れない。

漢字の地名を、わざわざひらがな表記にしたところがある。外国風の名前にしてカタカナ表記にしたところがある(ように誤って記憶してるだけか? 愛知県の某所…)。こういう愚かしいことが起こったのも、平成の大合併とかで市町村の再編成があったせいなのか。

400年後、500年後の日本人(その頃まで日本人、人類がいるとして)が、「21世紀の人たちは、よく知っていたんだねぇ」と感心するような智恵を我々は残せるのだろうかしらん?