2012/03/25

独り暮らし、首都隊員 ~生活の変化考(2)~

ブログの更新が滞った理由を、2月末に村から首都に任地が変わったことで、生活で変わったことを中心に考えてみている。

  1. ●●解禁!
    伏せ字にしているからといって、いかがわしいことを想像せんでおくれ。いや、いかがわしいかな、やっぱり…。
    ホームステイ先は、キルギス人家族と一緒だったので、隊員仲間が泊まりがけで遊びに来た時くらいしか部屋では酒を飲まなかった。あとは、月に1~2度、同じ村の隊員と週末に村のカフェに集まって乾杯するくらいだった。
    それが今は、そういう気遣いがないから、基本的にアルコールは飲みたければいつでも家で飲める状態。う~ん、私のことを個人的にしっている方々なら、こういう状況が何を意味するのか、だいたい想像がついているんではないか、と…。
  2. “首都隊員”のお務め
    協力隊が派遣される国おける首都の意味というのは、隊員にとっては、日本で「東京が首都です」というのとは違った意味がある。日本であれば東京以外からも海外へ出入りする玄関口はある(実際には東京ではないですな。成田の皆さん、失礼しました)。協力隊が行くのは途上国だから、国際便が飛んでいるのは首都の空港だけということもある。いや、マレーシアのように首都以外の空港でも日本との定期便が飛んでいる国もある(そう考えると、やはりマレーシアって、すでにかなり発展した国なんだなぁ)が、それでも協力隊が赴任・離任する際は首都である。
    その他にもJICAや現地日本大使館に関連する行事なんかも、ほとんどが首都で行われる。私個人は、自分の活動と関係のない行事であれば参加しないと決めているが、そういう行事の際に首都に集まってくる地方隊員がいれば、せっかくの機会だからちょっとした食事会(飲み会?)を開くことになる。いや、別にそれは義務ではないんだけど、2年間という限られた期間で出会う協力隊同士の交流というのは私にとっては貴重なものなのだ。
    それに加えて、前に書いたように離任する隊員の見送り、赴任して来る隊員の出迎えというのも、首都にいる隊員が中心にすることになる。まあ、これも義務ではないし、私もそういうことがしたい気分の時だけするという話なのだが。
    ということで、首都にいるとそういう“お付き合い”をする機会が増える。これは村にいた時より頻度が増えた。というか、3月は4次隊の離任時期と重なったので、送別会やら個人的な食事会が多くなったということだろう。ブログの更新が止まっていたのもその時期である。

まあ、どれをとっても、「ブログ記事が書けない」というほどのものではないのであった。要は、

  1. ダラダラと生活している

と言うに尽きる。

お粗末。

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