2012/02/29

にくらしい話

キルギスの肉は計り売りが中心。

butcher

村の肉屋はこんな感じである。イスラム教で禁止されている豚肉は、(当然)置いておらず、牛と羊が場所を分けて置かれている。それぞれ部分ごとに台に並べられていたり、写真のように吊されている。

この中から、自分のほしい部位を「このくらいの大きさ」とか「○○グラム」という感じで注文して、店の人に切り分けてもらう。

首都ビシュケクであれば、大きなバザールの肉売り場に、ひき肉も置かれているが、村では見たことがない。その代わり、普通の(肉屋でない)店に冷凍でひき肉が置かれていた。

farsh
(500g弱で95ソム)

他にサラミ、ソーセージなんかも。

 sarami
(30cm弱の長さのサラミ。これも95ソムくらいだった)

首都のバザールの肉売り場は、規模がまったく異なり、肉に囲まれるような情景なのだが、それはまた写真が撮れた時にでもアップすることにしよう。

今日は閏年の2月29日ということで「にく」の話題に。

2012/02/28

引っ越し出迎え

27日の引っ越し、ホームステイでの一人部屋暮らしだから、荷物はそんなに増えないだろうと思っていたが、引っ越しのために荷物をまとめてみると、結構増えていた。車への積み込みを手伝いに来てくれた同じ村の隊員もやや呆れていたかも…。

書籍類が増えたことと、子供らの指導に使えそうだと拾い集めてきた段ボールなども量は多かった。あとは先輩隊員にもらった(引き継いだ)照明器具だとか電気湯沸かしポットとか。

ビシュケクの新居に着いて、車から部屋に荷物を運ぶのは、一人で何往復もするはめになり、荷物を増やしてきた自分を恨んだ。

独り暮らしは日本にいた時以来、久しぶりという感じである。一番楽しみにしていたのは、自分でキッチンを好きなように使えることだ。近所の小店で調味料を購入。露店の八百屋も出ていたのでじゃがいも、にんじんだのを買う。それで簡単なスープを作り、あとは近所のサムサ屋でサムサを買って済ました(サムサはひき肉・玉ねぎを包んで焼いたパイ)。

引っ越し祝いという訳ではないが、ビールを買って飲んだ。ホームステイ先だと部屋で酒を飲むのは控えていたから、独り暮らしになってその気兼ねがなくなった。実は、これが一番気をつけなければならないことだと思っている。飲酒量が増えるのではないか、と…。

夕食中、ビールのコップから何かが這い出してきたのでギョッとして見ると、小さなゴキブリであった。バコンバエバ村では1年半、一度も見ることがなかった。キルギスは北海道くらいの緯度にあり、冬場の最低気温は一番暖かい地域でもマイナスになるから、自然環境ではゴキブリは棲息できないはずだと思うが、暖房設備の整ったアパートなどに一旦入り込んでしまえば、ゴキブリにとっては棲めない環境ではないということだ。

そう言えば、北海道でも、マンションなんかでは本州から引っ越してくる人の家財道具なんかにくっついて(あるいは卵の状態で付着して)上陸し、そのままマンションの暖房に助けられて繁殖をするのだと聞いたことがあるから、ビシュケクのゴキブリもその先祖は、外国からの輸入家具とか旅行者の荷物にくっついてやって来たのかも知れぬ。

と、そんなことを考えたのは後のことであって、私の引っ越しを出迎えてくれたゴキブリはすぐさま潰されてしまったであった。

2012/02/27

До свивания, село Боконбаева.

本日、配属先および任地変更にともなう引っ越しの日。

 

一昨日、昨日と、同じ村で活動してきた隊員たちと「バコンバエバ会」。この会は、この村に住む隊員同士の集まりに付けた名前(安直~)。私が引っ越した後、3月に、バコンバエバ村にいる最後の隊員が任期終了で引き上げるので、これでこの村には協力隊も日本人もいなくなる。一番多い時は4人の隊員がいた村であった。

バコンバエバ会の待ち合わせで私のホームステイ先に寄り、私の荷造り状況を見た同村隊員たちは「え~? これで明日出発できるんですかぁ!?」と私を非難せんばかりの質問をしてきたが、昨日の夜にすべてパッキングは終わったのだ。どうだ、「大丈夫」と言ったとおりだろう、エッヘン。

とは言え、荷物はやたらと多い。ステイ先の人にしてみたら、「1年半の生活でよくここまで物が増えたな」と内心思っているのかも知れない。療育センターで子供らの指導に使おうと思って、段ボールとか発泡スチロールとかをやたら集めて、それは変更先の職場でも使えるだろうからそのまま持って行く。それで大型のバザールバッグが1つ埋まった。

あとは本とかプリント類も増えていた。段ボール2箱。私は自分では服はほとんど購入しないが、人からはありがたくいただくので、これもいつの間にか増えていた。バザールバッグ1.5袋程度。これらに加えて、私の場合、弦楽器4兄弟(ギター、ウクレレ、コムズ、三線)があり、これが一つひとつは大したことはないのだが、兄弟が集まるとかなりかさばる。

とにかく、パッキングは終わった。あとはチャーターをした車が迎えに来るのを待つのみ。5~6時間後には新しい町、家で暮らし始めるのか…。新しい生活・職場への期待はあるが、慣れ親しんだこの村を離れるのは、やはり寂しいものである。まあ、協力隊は任期が最初から決まっているのだから、遅かれ早かれいつかはこの村を離れることには違いはなかったのだが。

では、さらばバコンバエバ村。夏頃にもう一度は訪れたいと思う。

02-27
(引っ越しの日の朝焼け)

「バザールバッグ」についてはまだブログに書いていなかったと思う。主にバザールで売られているプラスチック製(?)のバッグで、とても丈夫。サイズ・柄も様々で、あるととても重宝するのである。近いうちに写真付きで紹介しよう。

2012/02/26

職場・任地、変わります

唐突な話と受け止められるかも知れないが、これまでの配属先を辞め、首都の障害児療育センターへ移動する。明日27日に引っ越し。1年半ちょっとのバコンバエバ村での生活にもお別れということになる。

任期の残りも5ヶ月で、夏休みシーズンや帰国準備の日程も考えると、実際には活動期間は5ヶ月もないのではあるが、今の配属先で過ごすよりも、別の所でやれることがあるならばと思い選択したことである。

年が明けてから、これまでやっていた障害児者の通所センターを突如閉鎖。もちろん、私にだけ言っていなかったことで、配属先のトップや現場スタッフはそのつもりで予定していたのかも知れないが。

その後、何かやる様子も見えず、私も以前から家庭訪問に行っていた子の所へ行くくらいが活動らしい活動で1ヶ月半を過ごしていた。担当の調整員が相談にのってくれ、その中で、残り任期が数ヶ月であっても、自分がこれまで得てきた知識・経験を多少でも必要としてくれる団体が他にあるならば、そちらでやらせてもらおうと思った。

いざ、私が「ここは辞めます」と伝えたら、今の配属先の人たちは不快感を示しており、まあ色々と言われた。言い争っても、向こうもこちらも納得することはできぬだろう。そもそも、ここの団体・スタッフたちに、障害児者の支援をするというモチベーションがどこまであったのか、私はずっと疑問であった。

協力隊のブログを開設するにあたっては、「任国、配属先、JICA等について、業務上知り得た個別の情報は書かない」「ネガティブな話題は控える」というのが、ルールとして確認されている。協力隊という立場でその国、その団体に赴任している以上、当然のルールだと思う(実際には、結構、書いている隊員のブログもある。ただ、その隊員にとっては書かざるを得ない事情というのもあるので、私自身はそれを糾弾するとかいう気持ちはない)。

で、これまでいた配属先についても、まあ色々と見たこと、思うことはあったのだが、それは協力隊ブログには適さない(ルールから逸脱する)と思うので書かずに来ている。個人的には、もっと活動先のことについて書きたいと願っていたが、月日が経つにつれ、「ありゃりゃ?」ということが重なってしまっていた。

その「ありゃりゃ」なことも、読者には関心のあることかも知れないし、私も自分の体験談としては伝えたい思いもなくはないのだが、当面はブログには書くことはしない。それに、新しい配属先の団体も、(これまでに何度かやり取りをしており、スタッフのモチベーションが高いことは感じてはいるものの)、実際に内側から見たらこれまでの配属先と大差ないという可能性も無くはないわけで、今、これまでの配属先への不満をここで吐き出すことは、後々、天に唾を吐くというのか、また同じ問題が自分に降りかかるかも知れない、と思うのである。

バコンバエバという村での生活自体は、気に入っていた。私を助けてくれた多くの人に感謝、感謝。

思い出の村を離れるにあたり、何十年ぶりかで雪が降り積もった村で、雪の帽子をかぶったレーニンさんの写真を載せておこう(昨日たまたま撮影したから載せるだけなんだけどね…)。

Lenin
(この帽子が溶ける頃には、私は村にはいない)

移動先はどこかというと、首都ビシュケクである。これまで田舎村暮らしをしていた私にとっては、いきなりの都会暮らしとなる。

村生活と都会生活の比較も、ブログで書ければと思っているので、まあ少しは期待していただこう。

Guess what this tree is. この木、なんの木?

久しぶりに、ブログのアンケート機能を使ってみることにしよう(アンケートというよりクイズだね)。
前回の満月に近い頃、ホームステイ先の庭で、樹木越しに月を撮影してみた(陰影は画像ソフトで修正をしている)。

pear_moon

さて、この木はなんの木でしょう?

4択ということで、

  1. りんごの木 (Apple’s tree / яблоня)
  2. 洋梨の木 (Peer’s tree / грушевое дерево)
  3. ポプラの木 (Poplar’s tree / тополь)
  4. 血管(Blood vessels / кровеносные сосуды)
この中のどれでしょう?

正解は1週間後くらいに。

2012/02/25

ディア~! ありえん!

deer

自分の撮った写真データを見直していたら、こんな写真が…

ちょっと不思議な写り方になっていた。プロとか愛好家なら、こういうアングルを狙って撮るんだろうけど、私の場合は偶然。でも、自分ではお気に入りの一枚になった。

鹿は、英語でdeer /ディア/、ロシア語はолень /アリェーン/。おそまつ。

2012/02/24

2月22日「猫の日」とマレーシア・クチン市

2月22日は「猫の日」だったのだそうだ。猫の鳴き声の「にゃん」と「2」の語呂合わせで、2が並ぶこの日を猫の日にしたんだそうだ(ウィキペディア)。つまりは日本だけの記念日ということだ。

「猫」と聞いて思い出すのは、マレーシア時代の任地。私は2年間、ボルネオ島のサラワク州クチン市を拠点に活動していた。クチンはKuchingと書く。

クチンというのはマレー語で「猫」の意味である。正確には綴りが違って、猫のほうはkucing、市の名前はKuchingとなる。

名前自体が「猫」であるクチンには、町中のあちらこちらに猫のモニュメントがあった。

kucing1
(猫とは無関係だが、背景の建物は華人街の入り口の門である。)

kucing2
(たぶん、観光スポットの中心にある猫像。)

私が覚えているだけでも、こんな感じの像が大小5~6ヶ所あったと思う。気付かなかった場所も含めればもっとあったのだろう。

中心部からは外れるが、猫博物館もあって、そこにも配属先の遠足に同行したり、観光で来た日本の知人を案内したりで何回か行った。世界中の猫関連グッズがコレクションされていて、私の世代には懐かしの「ナメ猫」のパネルも展示されていたっけ。

そんなに猫をフィーチャーしているクチンなので、土地名の由来について、多くの人から「猫がたくさんいるからですか?」と訊かれたものだが、聞いたところでは「ロンガン」というフルーツが、現地語で「猫の眼(mata kucing)」と呼ばれるらしく、その実がたくさんなることがクチンという土地名の由来なんだとか。ただし、ロンガンは中国語だと思われ「龍眼」と書くんじゃないか? 猫の眼、龍の眼、どちらも眼に例えているのが面白い(マレーシアではポピュラーなフルーツなので、旅行する人は試すとよいだろう)。ロンガンの画像はこのあたりで。

猫と言えば、もう一つ、「猫」の芸名を持つタレントが、カンボジア国籍を取得して、カンボジア代表としてロンドンオリンピックのマラソンに出場しようとしている話題を思い出す。カンボジアのマラソン選手にしてみれば、自分たちの枠が取られるかも知れないので、気の毒なことだとは思うが、話題としては面白い。

あのタレントがなんで「猫」なのかというと…、あ、その話は協力隊ブログにはそぐわないのでやめときましょ。チャンチャン。

2012/02/23

キルギスの祝日に関する過去記事

今日は「男性の日」と記事をアップしたが、過去にもキルギスの祝日・記念日について書いていたので、まとめておく。

こうして見ると、タイトルの付け方がバラバラ。その時の思いつきで付けているからなぁ…

私が気付かなかったものもあるはずなので、以上がキルギスの祝日・記念日のすべてではないことは断っておく。

男性の日

本日、2月23日は「男性の日」で祝日なんだとか。

へぇ~、そうなんだ。と思いつつ、昨年もキルギスにいたのだから、一度経験しているはずなのだが、余り記憶がない。自分のブログの過去記事を探してみたが、2月23日前後でこのことに触れてはいなかった。

思い返しているうちに、そういえば、昨年の今くらいの時期に、日本語を教えていた女学生(古い言い方だなぁ)からカードをもらったのを思い出した。あれが昨年の男性の日だったのだな、今思えば。

ちなみに「女性の日」もあり、これは3月8日。この日については自分のブログに書いていた。男性・女性どちらの日も祝日。5月5日子供の日(は男子の祝いだよね?)だけが祝日で、3月3日雛祭りの日(女子の祝い)は休みでない日本とは違う。

2012/02/22

バコンバエバの雪景色

動画が続いて、低速なネット環境の人(←協力隊員で、任国で活動中の人だろうな)には申し訳ないが、今回も動画。

雪はほとんど降らないと言われているバコンバエバ村周辺だが、今年は1月下旬以降4~5回は降っている。2月4日に降った雪は、まる一日降って、翌日まで断続的に降っていたと記憶している。

私が家庭訪問で行っている障害児の母親も、「私がこの村に嫁いで来てからは初めて」と言っていたし、もっと年輩のエジェ(年上の女性への呼称)も「こんな雪が降るのは長いことなかった」と言っていた。

北海道・東北あたりの人が見たら、どうってことのない当たり前の積雪風景かも知れないが、この村にとってはかなり珍しい映像とうことになりそうだ。

2012/02/21

Вороны возвраются на гнёзде. / Crows are going back to their nests.

バコンバエバ村で、夕方6時過ぎ、上空をカラスの群が巣に戻っていくのに遭遇した(村の人が私に話しかけてきたため、動画には会話が入ってしまっている。カメラのアングルも動いているので見づらいが、ご容赦いただきたい)。

YouTubeのコメント欄にも書いたのだが、マレーシア隊員時代に、ボルネオ島の「ムル鍾乳洞(the Mulu Cave)」という、鍾乳洞としては世界一の大きさで世界自然遺産に指定されている鍾乳洞へ行った時に、夕暮れになると昼間は鍾乳洞の暗がりにいるコウモリたちが一斉にエサを探しに出てきて、コウモリが群で飛ぶそれが帯状になって、まるで龍が飛んでいくように見えるのであった。

帰巣するカラスの群は、ほぼ真下で見たので横に広がったように見えたのだが、なんとなくムルで見たコウモリの出動に似ていると思った。

2012/02/20

Skiing with a view of the Tenshang-Mountains

This is a skiing ground in Karakol, Kyrgyzstan. It places in about 3000 meters above sea level. Maybe it’s the highest skiing ground in the Central Asia, I’m not sure though…

The following movie is a view of slope that I took by skiing. Please see how beautiful the mountains of Tenshang which can be seen ahead.

前回紹介したカラコルスキー場のゲレンデを滑降する動画。正面遠くに天山山脈が見えている。こんな景色の中を滑ることは、生涯でもうないだろうと思いつつ、自分のスキーテクニックでは、これでもギリギリのスピードを出しており、景色を眺める余裕もない滑りだった。

ほとんど他にスキーヤーがいないのも最高。日本でも、町営・村営のスキー場にはこういう所はあると聞く。みんな、リゾート化したスキー場ばかり行かずに、空いている所に行ったほうが気持ちよく滑れるんじゃないかと思うんだが、人がたくさんいるところに行きたいという人もいるようで、私にはその心理はよく分からないのである。

うん、帰国してからスキーに行くなら、絶対に“シケた”田舎のスキー場で遊ぶぞ。

中央アジア最高(?)のスキー場

カラコル冬祭りに行った際、せっかくということでカラコルスキー場へ行った。

ゲレンデの最高地点は標高3000mちょっと。晴れていれば、すんげぇ~見晴らしが良い。

gelende(標高2800mくらいのところ、と思う)

上の写真で、正面、遠くのほうに山脈が見えているが、これが天山(テンシャン)山脈の北側の山々。5000mとか6000m級の山々である。そういうのが普通に目の前にあるっていうのが、日本とはまた異なるスケール感である。

このスキー場へは前にも来たことがあるが、ゲレンデの一番上(上級者コース)までリフトで行く場合、20分弱かかる。今回は快晴で、ほぼ無風だったので、リフトに乗るのものんびりとしたものだったが、以前、雪が降り風もやや強めに吹いている日に同じリフトに乗った時は、寒かったのなんの。

mountain_top
(ゲレンデ頂上の景色。背後に見えるのは南側の天山山脈。)

今回のスキーでは、レンタルで借りられると思っていたゴーグルが販売用しかないとのことで諦め、サングラスも持参していなかったので、一日裸眼でスキーをしていた。これはすごく目によろしくなかった。途中で目が傷んでいるな、という実感もあった。スキー場に行く時は最低でもサングラスは忘れずにしなければならない。

といっても、私がキルギスでスキーをするのは、おそらく今回が最後だと思う。キルギスの前に滑ったのは、およそ20年前(!)。やってみれば楽しいのは間違いないのだが、日本ではなかなかスキー場へ足が向かない。次にスキーをするのはいつになることやら。

あ、ちなみに、キルギス協力隊仲間には「60歳になったらスノボ始める」と宣言をした。ウケ狙い以外に意味はないんだけど、まあそのくらいの年齢に新しいスポーツを始めるというのも良かろうと思う。

次回、カラコルスキー場でのゲレンデ滑走の動画を張り付ける。

2012/02/19

Fonexの調子が悪い…

キルギスでネット接続するのに、私は「Fonex」という通信会社を使っているのだが、どうもここ最近、接続状況が悪い。

前から時間帯によって接続速度が落ちることはあったが、今は一日中遅い感じである。ウェブサイトを見るにも、メールを送受信するにも、ブログを投稿するにも、何度も接続エラーが出るのでイライラさせられる。

ここ数週間で、Fonexでネットをする人が急激に増えたということなんだろうか? あんまりそれは考えられない気もするのだが…

日本で通信系の会社に勤めていた隊員の話では、通信信号の新しい規格(?)に対応させるための設備の更新・拡張が追いついておらず、通信障害が起きている可能性が起きているのかも、とか。

こんな何日もつながりにくい状況が続いたら、日本だったら通信会社の社長が謝罪会見を開いて「今後、このようなことが起きないよう、原因の究明をし対策を取っていきます」と言うことになるはず。私がテレビを見ていないからかも知れないが、キルギスではそういう謝罪会見って見たことも聞いたこともない。

まあ、お決まりのフレーズを言うだけの謝罪会見なんてしてもらわなくても良いが、接続の不調はなんとかしてくれないものか…。

2012/02/17

ビバ! 漢字

2月14日のカラコル冬祭りで、協力隊は「出前日本語講座」と「日本語ボディペインティング」のブースを出していた。

日本語講座のほうは、日本語のあいさつ表現の紹介や、キルギス人の名前をカタカナで書いてあげていた。

ボディペインティングは、予め漢字のサンプル表を用意してあって、その中から好きな文字を選んでもらい、頬や手の甲に書いていた。こちらは有料にしてあって、1回5ソム(7~8円)。収益はフェスティバル運営費に充てられる。

paint

サンプルとして用意された漢字は「愛」「友」「太陽」「月」「喜」「優」「花」など30文字ほど。キルギス語・ロシア語で意味も添えられている。やはり、と言うべきか、一番“売れて”いたのは「愛」。皆さん、そういうの好きですな。私もすこし書き手として手伝ったのだが、「愛」の注文ばかり多いのにちょっと辟易しながらも、たまに「友」とか「太陽」といった注文があると、心やすらぐのであった。

まあ、私の偏屈な「愛」嫌悪はいいとして、この漢字ボディペインティングのブースは人が途切れることがなかった。もちろん、ほとんどの客は漢字を読めないから、サンプル表のキルギス語・ロシア語がなければ意味も分からないのだが、意味が云々とは別に漢字のデザイン自体に、彼ら・彼女らを引きつけるものがあるのではないかと思う。

漢字は、もちろん中国から伝わった文字だが、日本人はその後、独自の文字を作ったにもかかわらず漢字も併用し続けている。元々漢字文化圏であった国のいくつかは、独自の文字に切り替えて、今は漢字が読めなくなっているところもあるから、私などにしてみれば「もったいない」と思う。

ボディペインティングは1回5ソムなので、子供・学生も自分の小遣いから出せる額、親もそのくらいなら遊びで出してあげようと思える額。集金箱をみたら、結構な額が入っていた。少なくとも100人以上には書いている。これだけ盛況になったのも、漢字のお陰か。漢字さまさまである。

ただ、付け加えておくが、漢字リストにないもので「自分の名前をペイントしてほしい」という要望もかなり多数あった。これは、隣に日本語講座ブースがあって、そこで自分の名前をカタカナで紙片に書いてもらっているので、それを持ってきて「これ(自分の名前)を書いて」と注文してきていたのである。よってカタカナも大活躍。

漢字に限らず、自分の知らない文字には、何か人を惹きつけるものがあるのだろうか? 異国情緒のような。私、キリル文字(ロシア語、キルギス語、モンゴル語などで使用)が書けるので、日本に帰って希望する人がいれば書いて進ぜよう。

当日、せっかくなので私も一文字書いてもらった(もちろん、ちゃんと5ソム払って)。サンプル表にはなかったが「龍」を注文。今年は辰年ですからな。で、頬にかいた「龍」は、翌日の昼食時に他の隊員から「まだ龍が残ってますよ」と言われるまで残っていた。顔くらい洗っておけ!

2012/02/16

カラコル冬祭り2012

2月14日、カラコルという市で冬祭りがあった。カラコル市は、東西に細長くのびるキルギス最大の湖(琵琶湖の9倍!)「イシククル湖」の東に位置する。首都ビシュケクからは車で約6時間。私の住んでいるバコンバエバ村からは車で2時間20分。

この祭りは、昨年、カラコル市のツーリスト・インフォメーション・センターで働いていた一人の隊員が中心になって企画・開催された。その隊員はすでに任期終了しており、今年は後輩が引き継いで準備を進めてきた。主催はカラコル市で、協力隊は準備段階での企画アイデアの提供や、当日の日本関連のブースの出展で手伝ったようだ。

私は当日のビデオ記録係を頼まれて、イベントの様子をメインステージ、民芸品製作の作業所が出店しているブース、協力隊が出展しているブースなどを、ビデオカメラを持って撮影して回った。

Karakol_Fes (1)
(民芸品販売のブース。各地の村の工房から出店があった。)

Karakol_Fes (3)
(協力隊員による和太鼓演奏。来場者アンケートで人気ナンバー1だったとのこと。)

協力隊は、「出前日本語講座」で本職の日本語教師の隊員が、日本語の表現やキルギス人の名前をカタカナで書いてあげるブースあり、ボディペイントで、頬や手の甲に希望の漢字を書いてあげるブースありで、これも人が途切れず大盛況。

Karakol_Fes (2)
(日本関連ブースの前も大盛況。)

Karakol_Fes(4)
(デザイン学科学生によるファッションショーなんかもアリ~の。)

昨年は、協力隊がテントの設営から、イベントの進行の調整までやっていて、協力隊なしでこのイベントが継続できるのか疑問に思うところもあったが、こうして現実に、キルギスの現地の人たちの手で開催されて行っているのは前回と今回の企画に携わってきた協力隊員たちの成果だ(準備の裏話を聞いたら、協力隊が気付かなければどうなっていたかと思うような“抜け”は多々あったようだが、そうして少しずつ現地の人に移管していければよい)。

昨年、最初にこのフェスティバルを企画した隊員は、今年の様子を見ることはなかった。すべての協力隊は2年間の任期だから、こうして自分の蒔いた種が、その後、どう花開き、実を結ぶかを見ることができないことも多い。あるいは、自分の活動が何かの成果に結びつかないという隊員も多い。それ自体は残念なことだが、皆それぞれに自分の人生の中の2年間を、派遣された国で手探りしながら活動して、そして日本に帰っていく。

達成感あり、悔恨あり、挫折感あり。それでも2年は2年。その後、現地の人や後輩隊員たちが、何かを引き継いでくれたら、協力隊員としては幸福なことではないかな、と思ったのであった。

2012/02/15

コーラは温めましょう

暑い季節、外を歩いて汗をかいたあとに飲む冷えた炭酸飲料。たまりまへんな。

コーラとかペプシといった炭酸ジュースというのは冷やして飲むものだと思っていたが、キルギス人は冷えた飲み物はあまり好まないようなのである。

キルギス人の家にお邪魔する際、手みやげに炭酸ジュースを買っていくことがある。ジュースなのだから冷えた物のほうが良かろうと思って、店で冷えたペットボトルのを買っていく。

ところが、お邪魔したお宅でその炭酸ジュースを開ける際、わざわざペチカ(ストーブ)の近くに置いて温めているのである。

その家がたまたまぬるめの炭酸ジュースが好きなのかとも思ったが、別の家でも同じ様な光景を目にしたので、結構な割合で炭酸ジュースは冷えたまま飲まない家庭があるのだろうと推測している。

確かに、冷たい飲み物は腹を下す原因にもなるから、あんまり冷え冷えのジュースは良くない。特に小さな子供にはそうだろう。冷えたジュースを飲んで体調を崩すという経験の積み重ねで、炭酸ジュースは冷やしては飲まないという文化が定着したのか…

商店でも、炭酸ジュースを頼んだら、店員がペットボトルに手のひらで触れて、冷えていない方を選んでいるような時もあったが、これもぬるめの炭酸ジュースが好まれることを前提に考えれば、店員の親切心であったのだろう(「炭酸ジュース=冷やして飲む」と考えれば、逆に意地悪に感じる)。

人間の味覚は、3歳くらいまでに食べ慣れた物で、ほとんど生涯にわたる味の嗜好が決まってしまうのだそうだ。日本人が当たり前と思っている、炭酸ジュースを冷やす飲み方も、万国共通とは限らないのである。アフリカとかで送電線が普及していない地域であれば、コーラなんてなまぬるく飲むのが当たり前で、よもや冷やして飲む人たちがいるなんてことも思いもしないのかも知れない。

ビールにだって氷を入れて飲む地域があることは前に書いたと思うが、ジュースやビールといった日常的な飲み物が、いや日常的だからこそ、それぞれの地域で飲み方が分かれていて、かつ固定化しているのだろう。そして厄介なことに、自分の慣れ親しんだ飲み方以外は、どうしても奇妙に感じてしまうのである。

2012/02/14

国会中継とラジオ放送

短波ラジオ放送、愛聴者の私である。

NHKが放送している番組で、日本時間の午前8:30~11:50に「ラジオビタミン」という生番組がある。海外では、そのうちの11:15~11:50の部分しか流れていないのだが、キルギスの現地時間だと朝8:15~8:50にあたり、起きて出勤までの身支度をする間に聴くのにちょうど良い(ちなみに、日本にいる時も、非番の日には結構聴いていた番組である)。

この番組は月~金の平日の帯で放送されているはずなのだが、時々、「エターナル・サウンド」「弾き語りフォー ユー」という番組に差し替わっていることがある。

「ラジオビタミン」は時々、ミュージシャンをゲストに招いて、スタジオで生演奏をすることがあるので、音楽著作権の関係で放送ができないのかと思っていたのだが、どうも著作権の問題ではないようだ(実際に、スターダスト・レビューの根本要さんや元オフコースの鈴木康博さんがスタジオで歌っていたのを聴いたことがある)。

「ラジオビタミン」が別の番組に差し替わるのは、衆参国会や特別委員会が開かれる時であるらしいことに最近気付いた。日本国内ではNHKが中継をするので「ラジオビタミン」自体の放送がなくなっていて、他の番組を流している(そういう意味では、正確には「差し替え」ではない)ようだ。

そうであれば、甲子園高校野球の時期も同じのはず。キルギスでも高校野球中継が聴けると待っていたが、別の番組が流れていたような記憶がある。

だから、著作権の規制で放送できないのはミュージシャンのスタジオライブではなく、国会とか高校野球のほうということになるのだろうか。それにしても、国会とか高校野球に著作権とかないだろうから、何を保護しているんだろう…?

「エターナル・サウンド」「弾き語りフォー ユー」は、日本にいた頃は知らなかった番組だが、NHK-FMの番組のようで、これはこれで面白い。これらの番組がかかっていると、「ああ、今日は国会が開かれているんだな」と思うのである。

2012/02/13

Площадь <Ала-Тоо>

1月に撮影したアラ・トー広場の動画。アラ・トー広場は首都ビシュケクにある。

この日のビシュケクは雪が積もっていた。

2012/02/12

評論家になれるよ! って言うか、なれよ。

途上国での海賊版DVDの氾濫は、もう常識になっている。もちろん、海賊版DVDは違法であり、著作権保護の観点からもよろしくないのだが、現実として氾濫しているのは間違いない。

キルギスでも、映画、ドラマ、アニメなどの作品がDVDにコピーされて売られている。

videoshop
(DVDを売っている露店)

内容はロシアものの他に、アメリカもの、韓国もの(ここでも韓流は人気である)が多く、たまに日本の映画やドラマシリーズも見かける。キルギスの映画なんかも多くはないがある。国外のものはロシア語に吹き替えられているのが普通なので、おそらくロシア経由で入ってきている海賊版なのだろう。

パッケージを見ると、驚くことに、1枚のDVDに映画が6本とか、ディスク両面に映画が12~16本とか、ドラマシリーズが第1話から第12話までとか入っている。ジ○リのアニメ映画も、2枚組のDVDに有名どころの作品が網羅されている。

pirate
(あの日本人監督の作品らしき写真も…)

こちらの人たちは、これを買って、あるいはお互いに貸し借りして見ている。ホームステイ先の人も、ここ最近、DVDをずっと続けて見ている。

海賊版DVDに加えて、テレビ放送でも映画はよくやっている。というのも、(私の推測だが)映画を流しておけば、テレビ局は独自に番組を製作しなくても済むので、コンテンツを埋めるには都合が良いからだろう。こうしたテレビで放映される映画もよく見ているようである。

DVDにテレビ放送。トータルで言ったら、週に10本くらいは映画作品を見ているんじゃなかろうか。ここまで見ていたら、相当、鑑賞眼も養われていると思う。映画評論家になれるくらいの勢いである(実際、プロの映画評論家はもっと見ているはずだけど)。

とは言うものの、見ている映画の傾向はだいたい同じ(アクションもの、格闘もの)で、ストーリーは単純。これではなかなか鑑賞眼も高まらないだろうなぁ…

2012/02/11

ブラウザ別使用率

このブログを見てくれた人が使用したブラウザの(おおまかな)統計。

browser_all_time

browser_30days

世の中一般で言われているのと同じような比率なんだろうか? もうちょっとIEの使用率は下がっているのかと思っていたが、このブログの訪問者で言えば6割がIE。

あくまでもこのブログに限ったデータだから、世の中全体の傾向を反映しているわけではない。

ブログ管理者専用に、週単位のデータとかも統計を見られるのだが、私が知らないようなインディーズ系のブラウザで見ている人もいるようである。

2012/02/10

Кристаллы снегов/ Crystals Of Snow/ 雪の結晶

手ぶれ撮影になっているが、雪の結晶体の形は分かる。

crystal

日本語では「雪の結晶」と書いたが、ロシア語・英語では「雪」とか「結晶」を単数形にすべきか、複数形にすべきか迷った。

結局、ロシア語では「雪〈複〉の結晶〈複〉」で、英語では「雪〈単〉の結晶〈複〉」と書いた。英語を勉強した時に、なんであんなに単数・複数だとか、定冠詞・不定冠詞のあるなしにうるさいのかと疑問で仕方がなかったが、日本語を外国語として学ぶ人たちからすれば、それらの表現が必ずしも日本語では必須ではないことに戸惑うのだとも想像される。

たまに日本語学習者が「3つのトマトたちをください」みたいな“ヘンな”日本語を使うのを耳にするが、あれはおそらく彼ら・彼女らの母国語のクセが影響しているんだろう。

(あら、結局、いつもの言語比較ネタになってしまった…)

2012/02/09

Сосульки/ icicles/ 氷柱

土日に降り積もった雪だったが、その後数日、日中の気温が高くなり、屋根に積もった雪が溶けている。

屋根には陽が当たるから温度が上がって雪が溶けはするが、気温自体は氷点下だから、滴る雪は落ちながら凍る。そして氷柱《つらら》が形成される。

tsurara

tsurara2

昨冬は屋根に雪が積もることがなかったから、こんな氷柱にお目にかかることはなかったが、今年はあちこちで見かける。落下による怪我に注意しなければ…。

日本でも、例年は雪が積もらない地域でも、今冬は雪が降っているようなので、氷柱・雪の落下にはご注意を。

2012/02/08

「趣味は料理です」について

私は現在ホームステイをしているが、ステイ先の家族が首都に長期間行っているので、食事は自炊している。正確には家の長男は家に残っているが、彼とは一緒に食事をするわけではないので、それぞれ好きな時に台所を使って自分の分だけを作っている。
元々、料理をするのは好きであるから、別に自炊だからつらいということはない。日本で仕事から帰った後に、作り始めるとなると億劫で、牛丼とかほか弁に流れることもあったが、幸い(?)ここでは時間はたくさんある。日本の自宅であればある調理器具が同じようにあるわけではないが、私ごときの料理であれば十分足りる。そんなわけで、今は趣味の料理を楽しんでいる。
趣味を聞かれて、私のように「料理」と答える人はたくさんいる。ふと思ったのだが、キルギスに来てから、「自分の趣味は料理すること」と言っている人には会ったことがない。そういう話題にならなかったということもあるが、1年半いて、一人もいなかったのだから、そういうことを言う人は少ないのではないかと思う。
趣味というのは、いわば遊びが高じたものだ。食は生物である人間にとって、不可欠なものであるが、それを趣味と言えるのは、基本的な食の必要が満たされているからだ。
もちろん、キルギス人にとっても食べることは楽しみの一つだ。宴席などで、普段は食べられない肉料理が出てくる楽しみ。たまにカフェ(食堂)で食事をする楽しみ。これはある。そういう食べることの楽しみは、全人類共通ではないか。それは「楽しみ」というより「悦び」という言葉のほうが適当か。
だが、「料理が趣味」となるとどうなんだろう。食べる楽しみ・悦びとは、なんか質的に違うがするのだ。食べることの余裕の上に成り立っている、という感じだろうか。料理が趣味というのは作る側のことだが、食べる側での趣味となれば食い道楽となるか。いずれも、食べることにギリギリではできない遊びであり、経済的余裕があってこそのものだ。
日本で「料理が趣味」な人がたくさんいることは結構なことだと思う。「料理が趣味」ということが違和感なく受け止められていることは幸福だと思う。だが一方で、それは世界どこでも共通する価値観でもないとも思った。おそらく、「料理」と「趣味」という言葉を結びつける語法もない地域もあるんだと思う。

2012/02/07

「はやい」の使い間違い

日本で「はやい」と言うと、時刻や時期が「早い」というのと、動作が「速い」というのと二つがあって、自分も含めて使い間違えている人は結構いる。特にパソコンの日本語変換では、キーを“速く”打っていると、変換ミスに“早く“気付かず、見過ごしてしまうことがある。という感じで、ややこしいのである。

漢字を見ればどちらの意味だかはすぐに理解できる。文脈でも判断が可能である。だがそもそも、二つの「はやい」は何で同じ音なのだろう? 時刻についてと、動作についてではあるが、両者とも「はやい」という点で何か共通している、ように感じられる。

しかし、それは日本語では二つの意味が「はやい」という音に収斂《しゅうれん》されているから起きる錯覚なのではないか…? とも思う。

例えば、英語で「早い」はearly /アーリー/、「速い」はfast /ファースト/、ロシア語ならそれぞれранний /ラーンニー/、быстрый /ブィーストリー/である。音がまったく違うから、日本語の「はやい」を書く時のような混同は起こらないのではないかと思うのだが、どうなのだろう(英語を母語とする人が、「早朝」をa fast morningとは間違わないと思うのだ)。

でも、例えば「車が速く走れ(A car goes fast.)」ば、その「車は速く到着する(The car arrives early.)」というふうに考えると、やはりearlyとfastにおいても共通する時間概念があるようにも思えてくる。

漢字の生まれた漢語ではどうなのかと思って、漢和辞典を調べてみたらさらにややこしいことになった。「早(ソウ)」の字義の一つに「すみやかに。急に」というのがあって、「すみやか」を漢字で書くと「速やか」なのである。ということは漢語においても「早=速」として認識されているのか? 「はやく来てください」という例文を考えると、「早く」も「速く」も使える…。

さらに露和辞典でбыстрый(速い)を引いたら、字義の一つに「素早い」が含まれていた。確かに、その言葉もありだ…。「速い」の説明に「素早い」があるとは。でもこれは日本語での問題であって、ロシア語で「早い」と「速い」が混同されやすいのかは不明。

完全にこんがらがって来た。「早い」と「速い」は音が同じだから使い間違い(日本語では書き間違い)が起こるのか、音が異なる言語でも「早い」と「速い」の誤使用は起きるのか、それぞれの言語を母語とする人に訊くのが一番であるように思う(特に幼少期の子供の使い間違いがあるのかどうか気になる)。

え? まだ似たような単語があるって?

はじめ(「始め」「初め」)

つく(「付く」「着く」)

かえる(「変える」「代える」「替える」「換える」!!)

…もう今日は止めましょう。

2012/02/06

今さら、辞書を使いはじめた

ロシア語に関しては、露和-和露辞書が収められた電子辞書を持ってきていて、何を調べるのにも使っていたのだが、電子辞書とは別に持ってきた書籍版辞書(木村彰一他編『ロシア語辞典』、博友社)を見たら、買ってからほとんど汚れていない。こちらの辞書はほとんど使っていなかった。

高い金を払って、重たい思いをして持ってきた物だから、書籍版辞書も使ってみようと、家でロシア語を調べる時はできるだけ電子辞書でなく書籍版辞書を使ってみるようにしている。

使ってみて、今さらながらの発見であるが、書籍版は例文が多いのが良い。そもそも、電子辞書に収められている露和-和露辞典は、コンパクトサイズの書籍版辞書を電子テキスト化したもので、ロシア語の単語に対して、日本語の意味が箇条書きで載っているだけのことが多く、例文が少ない。

異言語間の単語では、一対一で意味が対応しないことがある。また一方の言語では一つの単語で済ましていることが、他方の言語では複数の単語が対応していることがあり、場合による使い分けが必要になる。

例えば、英語の”develop”は「発達する」「開発する」「展開する」「現像する」などの意味があるが、日本語では「写真を開発する」とは言わない。また、日本語で「方法」と言うのも、英語ではway, method, meansなどの単語があり、使い分けが必要である。ロシア語でも然り(いまだに使い分けがよく分かっていないが…)。

例文を読むというのは、これまで意識していなかったが、すごく学習効果があるように思う。あくまでも思っているだけであって、実になっているかは心許ないが…。

書籍版辞書を使っているとページのどのあたりにあったかを、なぜだか印象に残っている単語というのがある。また、基本的な単語であればあるほど、用法が多いから、辞書の中での説明スペースも多くなる。単語によっては2ページくらいスペースを使っているものもある。それだけでも感覚的に「この単語は重要だな」と分かる。電子辞書でももちろん説明のスペースは多いのだが、他の単語との比較はできないから印象に残りづらい。

外国語学習では、電子辞書よりも書籍版辞書のほうが効果が高いというのはよく言われることだが、実際に自分で書籍版辞書を使ってみて、電子辞書とは全然違う学習スタイルになることを実感している。

2012/02/05

他人事ではなくなった

私が住んでいるバコンバエバ村周辺は、降雪が少ないのだが、昨日(2月4日)未明から降り始めていたと思われる雪は、その後も降り続け、今朝の段階で25cmくらいの積雪。このまま降り続けば、40cmは積もるんではなかろうか。

雪の積もった朝
(8:00 干し草に積もった雪)

田舎の家なのでトイレは外にある。玄関を出てから50~60m先にある(って、なんと広い庭だ。日本ではあり得ん)トイレまでも、くるぶしより上に雪が積もっているから、とんぼ(グラウンド整備に使う道具)で雪をかいた(余談だが、北海道では雪かきのことを「雪をはねる」「雪はね」と言うのを思い出した)。

昨日も4回くらい雪はねをしたが、今日は雪のかさが増えていて重い…。今日も同じ回数くらいは雪はねをすることになると思うが、今日のほうが重労働になりそうだ。

日本では、例年よりも降雪量が多いようで、東北地方では屋根の雪下ろし作業中に、転落事故などで亡くなる高齢者が多数出ている報じられている。雪下ろしだけでなく、家の前の雪はねもある。東北の雪は水気が多くて重たいと聞くから、なおのこと重労働であろう。

昨日までは、雪国の人は大変だなと他人事としてニュースを聞いていたが、今日は我が身でその大変さを味わっている。

(追記)
昼近くに雪は止んで、陽も差してきた。気温の上昇とともに、雪がどんどん溶け始めている。雪かきをしていると、木の枝に積もった雪が落ちてきて降りかかる。雪は積もった分に加えて、溶けた水分で重くなっている。

雪の止んだ昼
(11:50 雪が止み、陽が出てきた)

ウクレレで「北の国から」を弾いてみた

ウクレレの一人二重奏を録音してみた。曲はドラマ「北の国から」の主題歌。YouTubeに、ウクレレで弾いているクリップ(たぶんプロが製作)があったのを以前みて、マネをしてみたもの。

モバイルPCのマイクでパソコンに直接録音。使用ソフトは「Windows Movie Maker(ムービーメーカー)ver5.1」と、フリーソフトで落とした「Zulu DJ Software Master's Edition v2.38」というソフト(このソフトでエフェクトをかけた)。

昔、カセットテープでの多重録音はやっていたが、宅録がデジタル化してからはまったく何も分かっていない。上記のソフトも、形こそパソコンのソフトではあるが、録音の過程は極めてアナログな感じだった。演奏からファイル出力まで30分くらいで完成。

できたファイルをyahoo!のストレージサービスにアップロードし、その埋め込みコードをこのブログに貼り付けているわけだが…


(ファイルサイズ:189KB)

ブログに音声ファイルのリンクを埋め込むのは初めてやってみたことなので、これでできているのかどうか分からないが…。

現在の自分のネット環境では、ファイルサイズが大きいと送信できないことがあるため(途中でエラーが発生)、音質(ビットレート)はかなり落とした。と言っても、ビットレートが高くてもさほど音は良くない(マイクの限界?)。

一応、ブログでの名前を「ウクレレちゃん」にしているので、一度くらいはとウクレレのネタがあっても良いだろう。

Я умею играть на укулеле.

Мое интернетовское имя в этом блоге <<укулеле чан>>. Вы знаете что укулеле?
Это – музыкальный инструмент, который созданный на Гавайах Америки. <<Чан>>, это просто суффикс, который значит как <<мальчик>>.
Несколько люди мне говорят “ты действительно умеешь играть УКУЛЕЛЕ, что-ли?”. К сожалению, что они пока ещё не слышят мое исполнение.
И я мое исполнение записал компютером.
(размер файла: 189KB)
Теперь, вы стали узнать, что я умею играть укулеле, да?
Что? Я не доказал, что я сам играл или нет? Когда-нибудь я загружу сбой файл видео на YouTube.  :-)

2012/02/04

朝、扉を開けたら雪景色になっていた

バコンバエバ村、この冬、2度目の雪。

Bokonbaev_snow2

Bokonbaev_snow1

日本では、寒波の影響で、関東以西でも降雪があり、東北以北でも例年に増して雪の量が多くなっていて、あちこちで降雪被害が出ていると聞く。

ヨーロッパのほうでも寒波がひどく、多くのホームレスの人が凍死したとニュースで聞いた。

この2つのニュースを聞いて、今年は世界各地で寒波が来ているのかと思っていたら、アメリカのワシントンD.C.に在住している友人からは、あちらは異常な暖冬になっているのだという。例年、冬の気温は0~3℃くらいまでなのが、今年は日によっては20℃近くになっているらしい。「それならば、ポトマック川の名物の桜も、いつもより早く咲くだろうね」と返していたのだが、そのメールをしたその日に、ニュースでポトマック川の桜が咲き始めたと言っていた。

2012/02/03

物価記録(2012年1月)

2012年1月の買い物から、キルギス(主にボコンバエバ村)での物価記録。

商品 キルギスソム 円換算
散髪(バリカン、坊主) 50 83
パッチ(裏起毛) 180 297
サムサ(肉入り) * 25 41
サムサ(じゃがいも入り) * 15 25
ろうそく(20cm) 15 25
洗濯粉洗剤(400g) 48 79
冷凍挽肉(450g) 95 157
LED懐中電灯(充電式) 100 165
じゃがいも(1kgあたり) 12 20
にんじん(1kgあたり) 12 20
タクシー初乗り(ALFA) ** 80 132
タクシー初乗り(PRINCE) ** 50 83
タクシー(カラコル市,1回) *** 50 83
タクシー(ナリン市,1回) *** 10 17
マルシュ(ビシュケク市内) 8 13
マルシュ(カラコル市内) 7 12

2012年1月のドル-ソム為替レートは、だいたい1ドル=46.3ソム。ドル-円が1ドル=76.5円として、1ソム≒1.65円として換算。

* 「サムサ」は、挽肉と玉ねぎなどを詰めたパイ。バコンバエバ村とカラコル市ともに同じ値段だった。

**  タクシーは会社ごとに値段体系が異なる。初乗りが安くても、課金頻度は速い場合もあるので、一概に値段の比較はできない。上記はビシュケク市のメータータクシーの場合で、メーター無しのタクシーのほうが圧倒的に多い。

***  ビシュケク以外の地方都市。一定区域・区間内で料金が固定されている(らしい)。その区域・区間を外れると、別料金が発生。

2012/02/02

「ギム・ボー?」の謎 ~ キルギス人の電話マナー ~

子供の頃や就職した後に、電話のマナーをいろいろ教え聞かされたものだ。夜分の電話は控える。かけたら、今、電話をしても大丈夫か相手に尋ねる。かけた方が切るまで受けた方は切らない、など。

そういう電話マナーの一つに、「電話をかけたら自分から名乗る」というのがある。携帯が普及した現在では、登録された番号ならば、誰からかかってきたのか画面に表示されるから、名前を聞かずとも誰なのかわかるが、相手方に番号が登録されていないこともあるし、やはり名乗るマナーは変わらない。

しかし、ここキルギスでは名乗らずに電話をかける人もまま見かける。面白いのは、

A(受話者):はい、もしもし。
B(発信者):もしもし、元気?
A:元気よ。そっちはどう? 体調とか仕事とか順調なの?
B:順調順調。ご心配ありがとう。今、どこにいるの?
A:今、車で○○に向かっているところ。で、あんた、誰?

というやり取りである。誰からかかってきたかわからないまま、まずは定型の挨拶をしていくのである。文字に起こしただけでは、臨場感を再現しきれないのだが、時には30秒くらい親しげに話した後、「あなた、誰?」と訊いていることもある。キルギス語では「ギム・ボー?」と言う。英語だと"Who is this?"(これ誰?)になる。この「ギム・ボー?」が出ると、私は「新婚さんいらっしゃい」の三枝ばりにいすからずっこけたくなるのだ。

賢明な読者ならすでにもう一つのオチも読めていると思うが、30秒くらいあれこれとやり取りした後、「ギム・ボー?」が飛び出し、名前を名乗った後に、間違い電話であると判明することがある…。落語とか吉本新喜劇なんかでは定番の(?)オチだが、それをギャグ抜きで現実にやっている人たちがいる。ここにいる。

そうだ。電話マナーの一つとして、「間違い電話をかけたら、きちんと謝る」と教えられたものだが、キルギスでは、間違った相手にかけたとわかったら、何も言わずに切る人が多い。間違われたほうも、そんなものだと思っているようで、別に不快という感じも見せない。

マナーの多くが、世界どこでも共通でないことの好例である。

2012/02/01

キルギス人と携帯電話

今や、携帯電話は世界中で普及している。途上国では、設備の設置費用において、有線の電話回線よりも無線(電波)のほうが安上がりで済むため、携帯電話のほうが普及しているとも聞く。まず有線電話が各家庭に普及してから、携帯電話が登場してきた日本とは電話普及の経緯が異なる。
キルギスは、旧ソ連時代にかなり地域で電話線が敷設されたようで、10戸程度の家しかない集落でも家に固定電話はある。ソ連時代の電話料金は、同じ市外局番同士であれば、通話は無料だったそうで、そのシステムは今のキルギスでも継続されている。当然、同じ市外局番の家に電話をかける時は、固定電話からかけている。
よその市外局番にかける場合に携帯電話を使っているようだ(携帯がない時代は固定電話だったはず)。
携帯電話は、通信会社ごとに発売しているSIMカードというのを携帯端末にセットして使う。事前に料金を払っておき、使った分だけ減っていくプリペイド方式である。プリペイドした分を「единица /エディニッツァ/」と呼ぶ。ロシア語で「単位」という意味。同じ通信会社間の通話は安く、異なる通信会社だと高くなる。かけた方のエディニッツァが減っていく。
と言うわけで、自分からかけるより相手にかけてもらう方が得だから、いわゆる「ワン切り」というのもある。