2011/12/31

Japanese Red and White Song Battle

大晦日。「年末恒例」とは言われなくなってきた、NHK紅白歌合戦。

NHKは、「NHKワールド」というので、テレビ、ラジオの番組を海外に配信している。テレビは有料で、NHKの番組が見られる。受信設備があり、視聴料を払っていれば、紅白歌合戦も生中継で見られる。

日本では夜7時あたりから11:45までの放送である。紅白を見ながら年越し蕎麦を茹でてすすって、紅白の参加者が「蛍の光」を歌うのを聞き、NHKホールのひきの絵でパ~ンとキラキラしたテープが飛び出す(これこそ恒例だ!)を見たその刹那、画面が一転して、東北の雪に囲まれた寺の鐘をつく場面に切り替わる。ゴ~ン、ゴ~ン。「ゆく年、くる年」である。

ああ、一年が終わっていくんだねぇ…、としみじみしながら、0時を回った途端、各地で迎春を祝う花火の打ち上げ場面。今年は穏やかな年でありますように…。

NHKの「紅白歌合戦」から「ゆく年、くる年」に続く番組の流れは、多くの日本人の年越しの心性を形作っている。

海外でこれらの中継を見られるのは、多くの在外日本人にとって嬉しいことであろう(私は見られないが)。しかし、ここに「時差」という問題がある。場所によっては、日本の真夜中は現地での早朝、真っ昼間である。

キルギスは日本からマイナス3時間。首都ビシュケク在住の日本人たちは紅白を見る集いがあるのだそうだが、見終わった後、まだ3時間も年が替わらないというのは、なんか違和感があるのではないだろうか。キルギスに限らず、世界中のあちこちで、紅白は見られているのだが、早朝や真っ昼間に紅白を見るというのは、何か背中がムズムズするような感じがしてしまう。現地に永住、長期在住している人は、毎年そうやって紅白を見ているだろうから、それが当たり前になっているのだろうけれど。

今年、私は協力隊仲間と、とある山の温泉施設で年越しをする予定である。山に短波ラジオを持っていき、紅白歌合戦を受信し、皆に聞かせるつもりである。さて、電波は良く入るか?

2011/12/30

新年の祝い

今週頭、配属先の障害児者センターの子供たち向けの新年会があった。

日本で「新年会」と言うと、暦が1月になってから以降にやるものだが、ロシア語文化圏では、12月末から新年会をするもののようである(この話は昨年も書いたような気がする)。

2011年も残すところあと1週間を切っているが、既に人々の挨拶は「新年おめでとう」となっている。このあたりは日本人的にはちょっと違和感を感じるところである。

日本では年末の挨拶は「よいお年を」である。これは年が明けてからは使えないという感じがするが、国語学てきにはどうなんだろうか?

ロシア語の「Поздравляю вас с Новым годом.」は「あなたに新年の祝いをします」みたいな言葉だが、これは12月の下旬から使われている。逆に、この言葉は年明けにも交わすものなのだろうか?

キルギス語でもロシア語と同じ様な挨拶がある。ひょっとすると、これはロシア語文化が入ってきた後に、キルギス語を対応させた結果かも知れないと想像する。

なんにせよ、1月1日を基準に挨拶言葉が切り替わると思っていたら大間違いのようで、文化によっては12月中にすでに新年の挨拶をしているのだ。

中国では、今も旧暦の正月のほうが盛大のようで、西暦の新年はそこそこに、2月頃に来る旧正月に人々は故郷に帰り、新年を祝うようである。マレーシアの華人たちも、旧正月の時には1週間くらい仕事を休んでいた。華人以外の民族も、それに便乗して一緒に祝っており、微笑ましい光景であった。

新年の迎え方にこのような地域差があるなら、天の邪鬼の私としては、6月25日あたりに「明けましておめでとう」と言ってみたくなるのだが…。

newyearparty
(子供たちの新年会。もみの木も設置されている。)

小沢昭一さん出演番組

12月31日(土) 午後0時15分~1時55分(日本時間)に、「思い出の昭和歌謡 ~小沢昭一・長田暁ニ~」という番組が、NHKラジオ第1放送である。

すでに恒例化している大晦日企画のようで、2年前、日本にいた時に聞いた。ナマ小沢昭一を聞ける数少ない番組。

恒例化しているのは嬉しいが、出演者の二人が82歳と81歳だって。こりゃ別の字のコウレイカだ。来年も聞ける保証はどこにもない。日本にいるラジオファンは是非聴くべし!

(私の知り合いで、誰か録音しておいて下さ~い!)

 

 

 

 

 

 

※ 書くまでもないと思うが、「コウレイカ」は「高齢化」のこと。

2011/12/29

日本では会えない…?

あと1週間足らずのうちに、キルギスの21年度3次隊協力隊員たちが任期を終えて帰国する。

協力隊は2年の任期。1年に4期(隊次)に分けて派遣される。私は22年度1次隊だから、活動期間が重なる可能性があるのは19年度2次隊から23年度4次隊まで。しかし、19年度2~4次隊は派遣がなかったか、任期短縮で帰国してしまったようで、キルギスには隊員はおらず、一番古い先輩隊員は21年度1次隊であった。

一方、本来ならば24年度1次隊の隊員とは入れ違いになるはずなのだが、我々キルギス22年度1次隊は派遣日が1ヶ月ずれ込んだため、24年度1次隊も予定通りの日程で派遣されれば、約1ヶ月、赴任期間が重なる。

21年度3次隊とは約1年半(正確には1年5ヶ月間)、キルギスで協力隊員として共に過ごした。共に過ごすと言っても、普段は別々の町や村で生活していたわけで、たまにJICAの会議などで首都に集まる時、あるいは、誰かの呼びかけで旅行などに行く時に顔を合わせるという感じであった。

赴任時期の重なりが多かったこともあり、21-3次隊の人たちとはよく遊んだと思う。自分と同年輩の人から、10歳以上も若い人までいたが、そういう連中がほぼ同じ目線で(と年上の者が言うのはいやらしいとは思うが)遊べるというのは、なかなか日本の一般社会の中ではないのではないだろうか。たいていは上司-部下、先輩-後輩といった上下関係の中での付き合いになってしまうから。

半年くらい会わなかったと思えば、3週続けて会って飯を食うことがあったりと、1年半の付き合いの中での濃淡というのもあった。会えば「日本に帰ったら…」という話をすることも多かった。一緒に旅行をしたり、誰かの家に集まったりと、あれこれ帰国後の同窓会の話で盛り上がるのであった。

が、一度、協力隊に参加したことのある私の実体験から言うと、帰国後に日本で会うというのは、派遣国で会っていたようには、思うに任せなくなるものである。

帰国後、それぞれ出身県などに戻っていくのだが、日本の国土は狭いと言われるが、いざ県を2つ3つ越えて会おうとすれば、そこそこ難儀する距離である。会おうと思っても、なかなかその時間が取れない。人によっては日本以外の国へ、再び行ってしまうこともある(留学、就職)。

何よりも時間が合わなくなる。仕事、家庭生活など、日本に帰れば、皆、別々の環境で暮らし始める。今、キルギスという外国で暮らしてはいるのだが、JICAボランティアという共通項を持っているので、何かと集まる機会があるのだ。日本に帰ったらそれぞれは違う仕事・職場の所属となっていくので、会う機会が減るのである。

うん、それでもまた会いたいものだ。毎年は無理にしても、2年に一度くらいは集まれる連中でツーリングでもしようじゃないか、という話になっている。

そうそう、マレーシア時代の仲間達にもまた会いたいものである。消息が分からなくなっている奴もいるが‥。

Keep in touch! (連絡とってね!)

2011/12/28

エディニッツァ(携帯デポジット)

キルギスに限らず、日本や一部の国を除いて、携帯電話はプリペイド式になっている。通信会社ごとに販売しているSIMカードを、携帯電話端末に差し込めば、すぐにその場で通話が可能である。

料金は予め支払っておき(=デポジット)、そこから通話した分だけ引かれていき、デポジットがなくなれば通話ができなくなる。ただし、これは発信する場合の話であり、他人からかかってくる通話を受信するのはデポジットがなくてもできる。

そのためか、たまにワンコールだけ鳴らして電話を切る人がいる。いわゆる「ワン切り」というやつである。携帯に受信番号の履歴が残る(アドレス帳に登録してあれば名前も分かる)ので、かけ直そうと思えばかけ直せるのであるが、相手に料金を負担させんがためのワン切りというのはマナー違反だと私は思うので、そういう電話には出んわ。(←聞き流してネ)

携帯のデポジットのことをキルギスではединица /エディニッツァ/ と呼んでいる。ロシア語で「単位」を意味する言葉である。ロシアでもエディニッツァと呼んでいるのかは分からない。ロシア語辞書を見ても「携帯電話のデポジット」とは書いてない。携帯が普及して以降の語法であろう。

デポジットを入金するのは、キルギスの場合、入金の取り扱いをしている商店などで、電話番号を伝え、入金する額を店員に渡す。あとは店員が入金操作をしてくれる。この際、店側は手数料として5ソム(8円)くらいを定額で徴収する。3ソムの所もある。定額なので、入金額が大きいほど手数料は割安になる。

私は、大抵、一度の入金で200ソム(手数料を引かれて195ソム)を払うことにしているが、現地の人たちの入金額を見ると驚く(店の人は、依頼された番号と入金額をノートに書くので、他の人の入金額を覗くことができる)。

多くの場合、一度の入金額が20~40ソム。多い人でも50ソム。20ソムのうち手数料は5ソムだから、実に支払額のうち4分の1は手数料である。ということは、4回、20ソムの入金を繰り返せば、手数料だけで20ソム払ったことになる。そう計算すれば、少額で入金することの不経済は明らかだと思うのだが、キルギス人にとっては少額ずつ入金するほうが普通のようなのである。

「一度に200ソムも払う余裕がないのではないか?」という疑問もあるが、絶対に払えない額ではない。それに、手数料のことを考えれば、結果的に安いのはどちらかは明らかであるから、余裕がないならばなおさらまとめて多く払うべきなのである。しかし、どういう訳かそういう発想に到らないらしい。不思議で仕方ない。

2011/12/27

もうすぐ箱根

有馬記念に続いて、協力隊とは関係のないネタである。

年末の有馬記念で、年の暮れるのを確認したら、明けて正月2日は、今度は箱根駅伝である。自分の親が箱根駅伝のファンであるため、新年2日、3日の午前のテレビは箱根駅伝の中継で占められる。

自分は、第3区中継所の近くに住んでいたことがあり、2年ほど中継所近くで観戦したことがあった。

テレビ中継では、ずっとトップ集団を映しているので、その選手達を見続けているのであるが、コースの一ヶ所で見ていると、ランナーはあっと言う間に通り過ぎるのである。

大学の陸上競技では一大イベントである箱根駅伝なのだが、参加校は関東圏(山梨の大学も入っているから甲州くらいまで含まれているのか?)の大学に限られている、地方大会の一つに過ぎないのだとか。それを、ここまで全国的に注目されるスポーツイベントにしたのは、放映権を持つ某テレビ局の功績と言えるだろう。

しかし、あの演出もいい加減、止めて欲しいと思う人は少なくないと思う。OBの人気アナウンサーを沿道に立たせて、応援実況をさせるとかいうのは、相変わらずやっているんだろうか。それを見て喜ぶ視聴者が多いということか。

スポーツの番組では、試合当日に到る、或いは試合のその後の選手達の様子を扱うことが増えた。そこには、試合からだけでは知り得ない、選手や選手を取り巻くコーチ、支援者たちのドラマがあって感動する。

感動するのは確かなのだが、それは試合に勝った者だけでなく、負けた者にあるストーリーである。テレビ番組で勝者のストーリーだけを感動的に伝えるのを見ていると、「負けた側にもストーリーはあるだろ!」と、独り、突っ込みを入れたくなるのである。

【有馬記念】結果

今年の有馬記念が終わった。

一番人気オルフェーブルが快勝(したらしい。映像は見てない)。このレースで引退の決まっていた牝馬ブエナビスタは、人気の通りには順位は上がらず7着。

私の予想した馬券は、すべて当たらず…。

思い返してみると、2007年のマツリダゴッホ、2008年のアドマイヤモナークを単複(せこ~!!)で取った以降、的中からは遠ざかってますな。

仲間内では、オルフェーブルを単単(2.2倍)、トゥザグローリーを単複(7.4倍)で的中した人がいた。自分は当たりがなかったので、悔しいが、逆の立場になることもある。

さて、来年は自分は日本に帰っているわけだが、どこで、誰と有馬記念の予想をしていることだろう?(一度くらい、中山競馬場で生で見てみたいものだが)。

horses(※この写真は有馬記念の第3コーナーの模様ではありません!)

2011/12/26

動物写真

自分のパソコン内の写真データを整理していたら出てきた動物の写真をまとめて掲載。

camel

移動中の車から見たらくだ。野生のらくだなのか? カラコルの動物園では柵の中のらくだは見たが、原っぱにいるらくだを見たのは、後にも先にもこの一回のみ。

kagero

蜻蛉《かげろう》。今年10月下旬、ビシュケクのマンション内の階段の踊り場にいたところを見つけた。このマンション、私がキルギス到着直後の現地研修の間にお世話になったホームステイ先の家族が引っ越した新築の物件で、別の隊員と一緒に挨拶に行ったのであった。既に何部屋か入居して住み始めているというのに、エレベーターがまだ完成しておらず、私たちの訪問先の家族が住んでいる9階まで階段で上っていった。

内装は「高級マンション」感がアリアリで、当然、住人もかなりの高所得者だと思うのだが、その人達が階段を上り下りしているのがなんとも不釣り合いでおかしかった。まして、高層階に行くほど価格は高いはずだから尚更…。この蜻蛉の写真を見るとあのマンションを思い出す。

imomushi

今年9月、ボコンバエバ村から車で30分ほどの標高2000mあたりの山を歩いていた時に見つけた芋虫。どんな虫の幼虫なのかはまったく分からない。こういうのは、大抵、蝶とか蛾の類になるんではないのか? 成人男性の中指くらいの大きさ(と言われて、中指を立てないように!)。

 rabbit

うさぎ。この写真のうさぎは、鷹匠《たかじょう》のショー(と言ってよいのか?)のために人間が飼っているもの。野生のうさぎは、キルギスで私は2回見たことがあるが、2回とも一緒にいた人が「あ、うさぎだ!」と言うのでその方を見ると、岩陰に走って隠れていくうさぎの後ろ姿なのであった。本当に一瞬。一秒にも満たない間であった。

そういえば、今年は卯《うさぎ》年だったのね。来年は辰《たつ》年か。さすがに辰(龍、竜)の写真は撮れないと思うが、いやしかし、世の中何があるか分からんからね…。

2011/12/25

携行機材今昔 ~パソコン編~

9年前にマレーシアに持っていったパソコンに入っていたOSは「Windows XP」だった。XPの発売が2001年ということだから、当時にしてみれば最新という感じであった。

で、今、キルギスに持ってきているパソコンのOSもXP。赴任前に移動に便利な小型ノートブックを買いに行き、購入の際に家電店の店員から「VistaよりもXPのほうがサクサク動きますよ」と薦められて、XPのほうを買ったのだった。結果的に、XPにして良かったと実感している。Vistaも使っているが、XPのほうが使いやすい。

現隊員の持っているパソコンの趨勢を見ると、Vista、7が多くなっている。たまにパソコンのことで私のところに相談がくることがあるのだが、日頃使っていないせいもあって、Vista、7の設定となると覚束ないことも出てくる。動画編集に関しては、最新OSではWindowsムービーメーカーが入っておらず、Liveムービーメーカーとかいうのしか入っていないようで、これが使いづらい。

協力隊でMacを使っている人はほとんどいない。隊員は定期的に活動状況を報告することになっている。昔は紙に手書き、または刷り出した物として提出することになっていたが、今はネット通信で提出できる(というか、半強制的にそうなっている。まあ、事務処理の効率化という点では仕方が無かろう)。で、レポートの提出をするシステムがWindowsのInternet Explorer(IE)で構築されているとかで、Windows以外のOS、IE以外のブラウザではできないという状態…。Macユーザーにとっては不利なのである。よく知らないのだが、WindowsのIEでしか使えないシステムって、きょうびのネット環境で作れるものなんだな、と妙に感心したほどである。

年月が経てば当然、パソコンの基本性能もそれだけ向上している。昔のパソコンで動画編集をするとなれば大変なことであったが、今はかなり高画質な動画でも大抵は処理可能である。静止画にしたって、3MB程度のファイルを一つ開くのに数十秒かかっていた頃から考えれば、今は1秒もかからない(というか、昔、スペックの低いパソコンに無理をさせすぎていたのか?)。

拡張機能について言えば、DVビデオを取り込む際にIEEE1394という規格のコードでつないでいたが、今はなんでもUSB。デジカメのメモリーカードも、昔はコンパクトフラッシュ(CF)とか、スマートメディアとかあったが、今はほぼSDカードの一人勝ちか。CFは一眼デジカメで採用されているようだが、私は使っていないので知らぬ。

パソコンに関してはこの10年で驚くほど販売価格が下がったことも記しておこう。10年前なら、日本で使われていたパソコンの大半は日本メーカーの物だったという印象だが、今は海外の新興メーカーのパソコンのシェアが大きくなっている。かくいう私も、今、このブログを書いているパソコンは海外メーカーの物である。

パソコンに付属しているディスクドライブも、「CD読み取り→CD読み書き→DVD読み取り→DVD読み書き」と機能が向上してきた。ここ最近に赴任した隊員のノートパソコンを見たら、なんと、ついに「ブルーレイ読み取り」ドライブが付いていた。当然の成り行きだろう。

そもそも、今回、「携行機材今昔」という話題を書こうと思ったのも、同期のパラグアイ隊員のブログに、「休日に映画鑑賞をしている」とあって、見ているソフトにブルーレイディスクが含まれていたので、驚いたからであった。

私なぞはブルーレイ搭載で驚いているのだが、数年後にはそれも当たり前になっているはずで、その頃には今のパソコンにはない機能が追加されているだろう。当然、協力隊隊員が携行するパソコンもさらに高機能化していることになる。

2011/12/24

携行機材今昔 ~カメラ編~

協力隊の任期は2年である。2年間の海外生活へ旅立つにあたって、日本から携行してくる物は色々ある。その中でもカメラ、パソコンの類は、時代と共に性能がどんどん変わっている。

9年前に、一度目の協力隊参加をした時は、デジカメが概ね世に普及して、スペックの競争期に入っていた頃だったという印象がある。自分より後に赴任してくる隊員たちが持って来るカメラを見ると、画素数がどんどん上がっていっていた。私が当時使っていたデジカメは、動画は音声無しでしか撮れなかったが、もう1年後には音声付きは当たり前の世界になっていた。値段も、自分が買った時と同じ値段で、スペックは全然高い機種が変えるようになっていた。

私のマレーシア隊員時代の後半には、一眼デジカメなる物を手にしている隊員もちらほら見かけるようになっていた。某C社のe●sというシリーズが、一眼デジカメに対する消費者のハードルを一気に下げた。マレーシアは、動植物の生態調査という職種で派遣されている隊員が多く、こういう人たちの多くは写真好きであった。「写真好き」というよりも、仕事をする上で写真を撮ることは必要不可欠の側面もあるようであった。そういう訳だろうか、この連中は真っ先に一眼デジカメを使用し始めていた(例えば野鳥の観測などでは、離れた所から撮影するために、望遠レンズに交換できる一眼デジカメは便利だということだろう)。

今、周りの隊員を見ると、一眼デジカメの所有率はかなり高い。以前は、一眼デジカメは写真撮影好きの人がわざわざ買う物だったが、今や「とりあえず一眼」という感も無きしも非ずで、一眼なのにずっと「オートモード」で撮っているという人も見かけるのである。

マレーシア時代、子供たちの付き添いでプールに行き、何かの拍子にカメラに水がかぶってしまい、そのまま使えなくなってしまった。デジカメはなんて水に弱いのかと痛感したものだ。当時は防水デジカメはまだ無かったのではなかったか。あったとしても一般ユーザー用のモデルは1種くらいだったはず。今は、複数のメーカーが防水カメラを製品ラインナップに入れている。

今や、防水カメラも単に「水がかかっても大丈夫」という域ではなく、水深10m対応の機種まである。マレーシアは南国でビーチリゾートも多く、私も何度かスキューバダイビングをしたが、海中の色鮮やかな珊瑚や魚を写真に納めたいといつも思っていた。キルギスではスキューバダイビングをすることはないので、防水デジカメを購入しなかったが、もし赤道近辺で海のある国へ派遣されていたならば、10m防水のカメラを買っていたと思う。

カメラの話のついでに、ビデオカメラについても。

9年前のマレーシア時代は、ビデオはまだテープ方式だった。S●NYの8mmアナログビデオを使っている人もまだいた。私はDVフォーマットで、パソコンにデータを取り込める物を持参していたが、パソコンにデータを取り込むのも、テープを再生しながら(つまり1倍速)なので、すごい時間がかかっていた。今やハイビジョン画質の動画が、DVテープの何分の一の時間で取り込める。

ビデオカメラのほうも、当然のことながら、スペックが格段に向上しているのだが、協力隊を見渡す限り、持参率は上がっていないように思う。これはデジカメに動画撮影機能が付いているのが当たり前になっており、デジカメの他にデジビデを持ってくる必要を感じない人が多いためではないかと推察する。

2011/12/23

【2011年有馬記念】 私の予想、決定

改めて断っておくが、このブログは青年海外協力隊・キルギス隊員のもので、競馬の予想ブログではない。ただ、個人的に、毎年、有馬記念だけは勝ち馬予想をすることにしているので、それを書いてみるだけのことである。真剣に有馬記念の予想をしたい方は、私の話など聞かず、もっと専門のサイトを探されるべし。

さて、今回、私が馬券を買うとしたら、

単勝

(3)ヒルノダムール
血統の中に、おもしろい名前があったというだけ。

(11)ジャガーメイル
昨年、テレビの取材で、ジャガー横田がキルギスに来ていた。ただ、それだけの理由。

馬連

(1)ブエナビスタ-(13)レッドデイヴィス
この2頭、 ブエナビスタは今年の有馬記念では唯一の牝馬《ひんば》。にも関わらず人気投票1番という実力。レッドデイヴィスはせん馬といって去勢されたオス馬である。言ってみればオカマ馬。この2頭を組み合わせて、“おねえ系”馬券と勝手に命名。
いや、だが実際に取る可能性も高い馬券であろう。

3連

(2) ヴィクトワールピサ
(9) オルフェーブル
(10) トーセンジョーダン

(2) ヴィクトワールピサ
(10) トーセンジョーダン
(13) レッドデイヴィス

どうなんだろう。そんなに穴狙いの予想でもないんじゃないかしらん? オッズが気になるところ。

一緒に予想をしていた隊員仲間は、「1頭1頭の戦績とか調教とかを見ていると、どの馬も来そうな気がしてしまう」とつぶやいていたが、まったく同感。2日後にはこの中の1頭が優勝となっているのだが、それまではどの馬も優勝するつもりで調教している。不思議な話だ(いや、別に競馬に限ったことではないな、これは)。

それにしても、毎日・毎週、予想を立てている人たちも大勢いるのだから、博打《ギャンブル》とは言え、それはそれで大変なエネルギーである。私は年に1回で十分である。

誕生日の怪

あくまでも個人的な感じ方の問題なのだが、私は誕生日を祝うというのに、どうしても馴染めない(前にもブログに書いたかな?)。

もっと若い頃には、周囲の連中にも誕生日を祝うことの不合理さを、口角泡を飛ばす勢いで説得しようとしたこともあったが、はなから「誕生日はめでたいもの、祝うもの」と信じている者にとっては、それを疑う契機自体がないようだから、私がみっともないほどに熱弁をふるおうとも、何でそんなことを言うのかが分からない。

ということに、私もよい歳になって少しずつ気づき、もう他人を説得する馬鹿はしないようになった。私自身が誕生日を祝うことに付き合わなければ良いだけのことだ(誕生日を祝いたい人たちにしてみれば、さぞかし随分と不愉快で迷惑な話であったろう)。

まあ、そんな訳で「誕生日祝い」というものには、何で世の人々がそんなにそれをしたがるのか、ということ以外にはまったく興味がない私なのであるが、最近、ちょっと気になったのが、誕生日祝いというのは、誕生日の前後どれくらいの日付の範囲で行われるのかということ。

まあ、友人・知人が集まって祝うというなら、祝われる当人の誕生日に一番近い週末で日程を組むのが一般的か。誕生日当日ではないが、皆が出席しやすいようにするには妥当なやり方であろう。でも、一番近い週末で都合が悪ければどうするだろう? 次に近い週末とかで調整するしかないのだろうなぁ。それも仕方あるまい。

でも、その第2候補の日も都合が悪ければどうしよう? さらに次に近い週末、あるいは出席予定者が集まれる最大公約数で平日に集まるか…。

まあ、そんな風に日程がどんどんと誕生日当日から離れていったと仮定しよう。ついに、前後4週間では都合が付かず、5~6週ずれた日程でみんなが集まって、やっと一件落着。

いや、それで一件落着だと言うなら、極端な話、2~3ヶ月ずらすのも有りいうことにならないのか? 誕生日当日の364日前、あるいは後の日に誕生日祝いをするというのは如何なのか?

「何のためにもならん話を延々と…」と呆れられているだろう。Ukulele chanは正気じゃないぞ、と。しかし、ごくたまに、「そんなスケジュールってあり?」というほど誕生日当日から離れた日程で祝いをしている人たちがいるので、私のような者でさえ、逆に集っている人たちの正気さ加減を心配してしまうのである。

まあ、私は、誕生日祝いを名目にして人々が集まることには、まったく非難めいた思いは無いのだ。ただ、名目なら名目で、それが許される一定の範囲というのもあるはずだと思う。いや、私の知らないところで、世間の人たちの誕生日祝いのやり方が変わってきているのかな…?

(蛇足ながら、今回のタイトルは「誕生日会」と「誕生日の怪」をかけた駄洒落也)。

2011/12/22

キルギスのリス

10月に撮った写真だが、ビシュケク市内で見かけたリスである。

squirrel

こういうリスは、北海道にいるのと似ているのではないか? エゾリスというのかな? マンガやアニメに出てくるシマリスとは違う種類である(「シマリス」と言えば、いがらしみきおの『ぼのぼの』。「いじめる?」のシマリスくん)。

手元にある電子辞書の『大辞泉』にはニホンリスの写真が載っていたが、これも上の写真のリスと似ているように見える。ということは、エゾリス、ニホンリスも同系統のリスなのか? シマリスは日本の固有種じゃないようだ。

私が住んでいるボコンバエバ村周辺ではリスを見たことがない。ビシュケク以外では、イシククル湖北岸のチョルポンアタ(Чолпон Ата)という避暑地で有名な町で見ただけである。

ところでリスは冬眠するのかしらん? 雪の積もったビシュケクやチョルポンアタの木の枝をリスたちは今も飛び移っているなら、見てみたいものだ。

2011/12/21

初雪

昨日(12月20日)、ボコンバエバ村にこの冬の初雪が降った。

snow1

首都ビシュケクなど、他の地域は1ヶ月半も前に雪が降っていたが、イシククル湖沿岸は雪が少ないのだ。ボコンバエバ村で雪が降るのも年に数回だと言う。

レーニンの胸像にも雪がかぶっていた。この写真、私のお気に入りの一枚になりそう。

snow2

2011/12/20

ニュース速報と短波ラジオ

キルギス協力隊とは直接関係ないので、大袈裟に取り上げるつもりはないが、昨日はある国の国家元首の死去が大きなニュースになっていた日であった。

昨日の朝、出がけに短波ラジオで日本時間正午12時のニュースを聞いていたら、「ただいま入ったニュースです…」と臨時ニュースが入って、他のニュースがすべてぶっ飛んでそのニュースのみを伝える内容になっていた。

「北」と呼ばれるあの国に関しては、今日のニュースを短波ラジオで聞いて、個人的に思い出すことがあった。

2002年に当時の日本の首相が「北」を訪れ、かねてから疑惑のあった日本人拉致をあの国が認めた、というビッグニュースがあった。その時、私はマレーシアで一度目の協力隊生活を始めたばかりの頃であったが、たまたま買ったばかりの短波ラジオでそのニュースの速報に触れて驚いた(拉致問題はそのまま一気に解決になるのかと期待していたが、大きな進展はないまま今日にいたってしまっている)。

もう一つ、短波ラジオで驚いて聞いたニュースは今年3月11日の東日本大震災である。当日は被害状況も詳《つまびら》かには伝わってこず、家族・知人の安否を心配しながらラジオを聞いていた。

昨日のニュースは、大きなニュースだとは思うが、個人的には上記2つほどではなかった。

2011/12/19

乗り物運賃

最近、首都ビシュケクに行く用事があり、マルシュルトカで移動した。300kmの距離を4時間弱の移動で運賃250ソム(約440円)。

マルシュルトカはコースが決まっているから、どこか適当なところで降りて、そこから宿(ビシュケク在住の隊員宅)までバス、タクシー、あるいはビシュケク市内マルシュを使って移動することになる。

驚くのは、村から首都まで4時間弱乗って250ソムの運賃なのに、市内でタクシーに乗ったら15分で200ソムであることだ。村から首都までマルシュではなく、タクシーを使ったとしても最大400ソム(季節によって変動)であるから、ビシュケク市内のタクシーがいかに高いかが分かるだろう。

村の感覚でいったらそうしょっちゅうタクシーに乗れるものではないが、首都ではタクシーが何百台と走り回って、客も乗っているのだから、やはり首都の住民は所得が高いということか。都市部と地方では、かなりの所得格差が存在するということだろう。

2011/12/18

ドゥンガン・モスク

キルギスのイシククル州の州都カラコルという町に、「ドゥンガン・モスク」と呼ばれるイスラム教のモスクがある。「ドゥンガン」とは、中華系のイスラム教徒のことで、キルギス国内にも在住している(ウィキペディア「ドンガン人」の項)。私なども、ロシア語もキルギス語もたどたどしく話しているのを聞いて、「お前、ドゥンガンか?」と尋ねられたことが何度かある。

カラコルにあるドゥンガン・モスクは、中華系の人が建てた物なので、キルギス人の一般的なモスクと建築様式が大きく異なる。

キルギス人モスクは下の写真のような感じである。

kyrgyz_mosque

キルギス人モスクについても、私がマレーシア隊員時代に現地で見たモスクと様式が違うので、別に取り上げたいとかねてから思っているが、とりあえず今回は対比のための参考として写真を載せておく。

さて、ドゥンガン・モスクのほうはというと、

Dungan_Mosque

こんな感じである。キルギス人モスクが土壁であるのに対し、こちらは木造建築。

Dungan_Mosque4

全体の景観、細部にわたる彫刻の施し方などを見ると、仏教寺院のようにも見えてくる。このあたりは、ドゥンガン人が漢族などの影響を受けているためではないかと思われる。

しかし、この建物がやはりイスラム教のモスクであることを示す物もあった。

Dungan_Mosque3 
(信者に礼拝を呼びかけるアザーンを放送するための塔「ミナレット」)

Dungan_Mosque5
(礼拝堂入り口に掲げられた、一日5回の礼拝の時刻を示す時計)

私たちがこのモスクを見学させてもらったのは13:15頃で、上の時計を見ればわかるように、13:30からの礼拝の間際だったため、礼拝のためにムスリムの男達がモスクに集まりはじめていた時間であった。

一番興味深かったのは、礼拝堂を案内してくれた年輩の男性が話すのを聞いて、一緒に行った協力隊隊員の一人がウズベク語なまりがあると気付いて、「どこから来たのですか?」と聞いたら、バトケン州というウズベキスタンとの国境付近のほうから来た人であったことだ。ドゥンガン人が建てたモスクであるが、今はドゥンガン人以外のムスリムも礼拝する場になっている(もちろん、他の地域のモスクでも、現地出身以外のムスリムは礼拝できるし、イスラム教以外の宗教でも基本的には同じだと思う)。

2011/12/17

寒い日に潜む危険

キルギスの緯度は北海道と同じくらいだから、冬は寒いのは当然である。ここのところ、一層冷え込んだ感じがする。室内は多少なりとも暖房をつけていて暖かいので、薄着で過ごしていたりもするのだが、油断してそのまま外に出る(例えば、トイレに行く時)と、えらい目にあう。

室内から外へ出た際、その温度差で後頭部のあたりがキーンと痛む時がある。あれは血管が急速に収縮しているせいなのか? 「ああ、冬場の脳梗塞とかって、こういうふうに起こるんだろうな」と恐怖を感じつつ、かき氷を食べた時のこめかみの痛みにも似た感覚に耐える。

風邪への対策は暖かくするのが基本であるが、私のホームステイ先、配属先の職場を含め、多くの場所で暖房器具が電気式の物であるので、停電になると暖房が使えなくなるのが困る。昔は石炭や薪を焚いて暖を取っていたはずだが、私の周りでは電気式暖房器の使用のほうが多いように見受ける。

日本でも、北国の住人なら常識なんだと思われるが、大気が冷え込んでいる時には息を吸い込むのにも注意が必要だ。一気に吸い込むと、肺が冷気でやられてしまう。実際に「やられて」しまったことはないが、吸い込んだ途端にむせ返ることはある。寒い時は、息は口をすぼめ加減にしてゆっくり吸い込む、あるいはマフラーのような物で口を被って、外気を直接吸い込まないようにする。

気温が氷点下になっているような時、しばしば私がやってしまう失敗が、鉄製門扉を開けようとして、取っ手を素手で握ってしまうこと。今回書いた中では「やばい」と思う事態ナンバーワンだ。冷凍庫から氷を出そうとつかんだ時、指が氷に張りついてしまう経験は誰にでもあると思うが、まさにあの状態なのである。

私のいる村はマイナス5度程度までの冷え込みだから、そう危なくはないが、マイナス10度くらいまで下がる地域ならば、焦って取っ手から手を放そうとすれば、手の皮が剥がれてしまうこともあるのではないか、と恐ろしい想像をしてしまうのである。この時季、素手で外出してはいかんのだ。手袋は必需品である(村人は素手の人もよく見かけるが…)。

monpi 
(寒い日の鉄門扉には注意)

2011/12/16

ユルタの骨組み

「юрта /ユルタ/」は遊牧民が住居として使う天幕(テント)のロシア語名。キルギス語では「ボズ・ウイ」。

草原の中のユルタ

この写真ではわかりにくいが、外側のカバーは羊毛から作ったフェルトのシートである。灰色がかっている。キルギス語のボズ・ウイは、「ボズ(灰色)」の「ウイ(家)」という意味だが、このカバーの灰色から来た名称であろう。

ユルタ(ボズ・ウイ)の写真は、モンゴルの草原が写った絵葉書なんかで見たことがある人も多かろう。ではさて、このカバーを外した内側はどうなっているのかはご存知だろうか?

ユルタの骨組み

このようになっている。これがユルタの骨組みである。すべて木で、パーツはかなり細かいところまで分解できる。なにせ、遊牧民はこれを建てては畳み、移動してはまた建てる、という生活であるから、持ち運びの便が考えられている。そうは言っても、大きい物だから移動するのは大変には違いない。

キルギスから日本へ帰る時の土産にしたい物の一つがユルタであるが、これを輸送するのは只事ではない。金がかかる。一度、日本でユルタが建っているのを見たことがある。砂利敷きの駐車場に建てられていて、そこでラーメン屋が営まれていたのである。こんな変わったラーメン屋は日本に一つしかない(今も営業しているのかは不明)だろうから、これ以上書かずとも、特定しようと思えばすぐに特定できるはずである。

ここのラーメン屋で「さくらラーメン」というのがあって、どんなものかと興味をそそられて食べてみたら、これが馬肉(=桜肉)を使っていて、おそらくスープも馬の骨で取ったラーメンであった。ひどく不味いと感じる味であったが、あれはその店の調理の仕方が悪かったのか、それとも私が馬のスープを食べ慣れていないから不味いと感じたのか…。

ちなみにキルギスでは馬肉は高級食材であり、滅多に口にすることがない。

2011/12/15

もうすぐ有馬記念

最初にお断りしておくが、このブログは青年海外協力隊でキルギスに来ている者が、現地での生活の様子などを書いているものである。まずあり得ないと思うが、まかり間違って、「有馬記念」とネット検索した結果、今これを読んでいる方、ここには有馬記念の馬券予想に参考になることはまったく書いていないので、あしからず。

青年海外協力隊のブログを読むつもりでこれを読んでいる方も、「協力隊と競馬に、何の関係があるんかな?」と思っていると察するが、それについても申し上げるが、青年海外協力隊と競馬には何の関係もない

じゃあ、何なのか? 単に個人の趣味の話をするだけである。

と言っても、私は競馬愛好家ではない。ただ、一年に一度、有馬記念だけは予想する習慣が付いてしまっているのである。普段から勝ち馬予想の研究をしている訳ではないから、馬の良し悪し、騎手の力量、コースの特徴、天候による影響など、まったく分からん。外食1回分程度の金額内で、でたらめに買っているだけである(競馬愛好家からは嫌われるタイプであろう)。

でたらめとは言いながら、有馬記念の時だけは、出走馬の今年の活躍を見たり、スポーツ新聞の予想記事を読んだりして、「フムフム、今年は荒れそうだな」とか「やっぱディープを軸でいくしかないな」とか、通ぶったことをほざきつつ、過ぎゆく年の暮れを感じ、前年の今頃は何をしていたかなと思いを馳せるのである。私にとっては、有馬記念は暦の節目を感じるための年中行事になっている。

以前勤務していた職場では、競馬の「け」の字も知らぬ若いスタッフに、単勝・複勝、馬番・枠番、単式・複式などという、知らなくてもよろしい専門用語を注入し、有馬記念の予想に巻き込み、だめな大人への洗礼を施したものであった。

そして、今年は、キルギスの隊員を巻き込んで、有馬記念予想を楽しもうという算段。今年の有馬記念は12月25日開催である。

2011/12/14

帰国後に会えない…

もう間もなく21年度3次隊の隊員たちが任期を終了する。その3ヶ月後に21年度4次隊が任期終了・帰国。そして私が派遣された22年度1次隊もその3ヶ月後に任期終了である。

キルギス22年度1次隊は、派遣国の政情不安が落ち着くのを待ち、1ヶ月遅れでキルギスへ渡航したので、任期終了も1ヶ月あとにずれる。青年海外協力隊は、帰国後にJICA本部にて2年間の活動を報告するのだが、その時、他の国へ派遣されていた同期隊員と2年ぶりに会うのが楽しみの一つなのである。しかし、1ヶ月ずれて帰国する我々キルギス隊は同期隊員と会えない。

それを残念に思っている。

物価記録(2011年12月)

2011年12月、最近の物価の記録。

商品 現地価格(som) 日本円概算
生トマト(1kg) 120 210
生きゅうり(1kg) 140 245
塩漬けパプリカ(1kg) 9 16
コンセント交換プラグ 30 53
パン 30 53
サムサ(羊肉) 25 44
サムサ(じゃがいも) 15 26
牛肉(300g) 98 172
板チョコ 57 100
歯ブラシ(2本セット) 100 175
歯ブラシ(1本) 80 140
マルシュ(ボコンバエバーカラコル間) 120 210
DVD+R 4.7GB(1枚) 10 17
CD/DVD入れる袋(1枚) 1 2

「パン」は日本の食パンとは異なる。パン生地を幅30cmくらいの円形、または四角形に整えてオーブンで焼いたもの。

「サムサ」は肉、野菜を具にしたパイ。

「マルシュ」はмаршрутка /マルシュルートカ/ のこと。乗り合いバス、または大きめのワゴンという感じの車。キルギス人の移動の足。ボコンバエバーカラコル間は200km弱くらいかな…

冬場は生野菜が高騰している。トマト、きゅうり共に、夏場は1kgあたり20ソム程度で買えていたと記憶しているが、5倍以上の値段になっている! これは、野菜のハウス栽培はされていないために、夏野菜を冬場に作ることはできないこと、生鮮食品の保存設備がないことなどが理由だと思う。

CDやDVDを入れる袋(プラスチック素材でペラペラの物)までリストに書いた。こんな記録を公表していると、自分が何を買っているを話しているようなものだ。まあ実際には、値段を見ただけで、自分では買っていない物も入っているが。

2011/12/11

Лунное Затмение

В 10е декабря 2011 года, было лунное затмение. Я его смотрели в городе Каракола.

Народ кыгызов не выглядит интересоваться. Только официантки, которые работают в кафе, в котором мы с друзьям садили, интересовались, потому что мы снова и снова ушли на улицу.

В этом раз, лунное заимение было полное. Значит вся луна скрылась в тени Земли.

eclipase1
(18:59, 11/12/2011)

eclipase2
(19:27, 11/12/2011)

eclipase3
(19:58, 11/12/2011)


google map

2011/12/09

短波放送の番組

相変わらず短波放送を聴いている。

短波放送の電波は、その時々の気象条件によって到達距離(?)が変わるらしく、昨日はっきりと聞こえていた時間帯でも、今日はよく聞こえないこともある。

また、時間帯によっては、近い周波数で別の短波放送が流れていることもあるので、混線気味になることもある。特に、キルギスは国境を接していることもあるのだろうか、中国語(と思われる。中国語の中にもいくつもの主要語があるらしいが、そこまでの聞き分けはできない)の放送が目立つ。

いやしかし、日本において短波ラジオのダイヤルを回したら、日本語の放送がたくさん入ってくるということはないから、そもそもの話、中国では短波のラジオ放送局が多いのだろうと推測される。これはキルギスでも同じで、日本では主流の中波(AM)放送帯でダイヤルを回しても、あまり放送がないようなのである。その代わり、短波放送帯だといくつもキルギス語らしき放送(「らしき」というのは、隣国カザフスタンのカザフ語がキルギス語と方言同士のような言葉であるため、私がカザフ語をキルギス語と思っている可能性もあるためである)はいくつも入ってくる。

勝手な想像だが、短波放送は伝達距離が中波放送より長いので、その分だけ電波送信所、中継所が少なくて済むので、設備投資は少なく、かつ広域に番組を届けられるので、このあたりの地域では短波放送局のほうが多いのではないか。なお、ちゃんと確かめていないが、どうもFM(超短波)放送と両方で放送している局もあるようだ。

そんなこんなで放送電波の状態は一定ではないのだが、聞き続けていれば、どの時間帯が日本語放送が聞こえやすいかの傾向が分かってくる。その時間帯は雑音、混線が少なく、ストレスがないので、必然、そういう時間にラジオを付けることが多くなっている。

それにしても、最近、NHKのラジオ番組の雰囲気はだいぶ変わったなぁ。そんなふうに感じるのは、自分が歳をとった証拠なのかも知れないが、アニメ声優の番組なんかもあって、ちょっと民放局のノリに近くなってしまっている。最後の砦はラジオ第2放送だな…

2011/12/08

無くては困る物?

ボコンバエバ村に赴任し、生活をし始めた時、村の商店のどこにもティッシュペーパーが売っていないことを知り、困惑したことを思い出す。

途上国とは言え、首都ビシュケクではスーパーマーケットなどで普通にボックスティッシュ、ポケットティッシュは売られていたので、どこでも普通に購入可能な物だと高をくくったのだが、ボコンバエバ村ではそうではなかった。ビシュケクで買ってあったポケットティッシュを店員に見せながら「こういうのある?」と、何軒もの店を訊いて回ったがいずこも「ニェット(無いよ)」との返事。

「こういうのならあるよ」と示されたのはウェットティッシュであった。なぜかウェットティッシュは複数の店で置いてあった。さらに、赤ん坊の尻を拭くための大きいサイズのウェットティッシュも置いてある店もあり、洟《はな》をかむ用のティッシュは無いのに、ウェットティッシュはたくさんあるのが、順序が逆のような気がしたものだ。

村ではティッシュが買えないので、首都へ用事で出かけた時に、ティッシュを買い込んでくることで、とりあえずティッシュ確保の問題はなくなった。が、しかし、そもそも村人たちはティッシュが無くて困らないのだろうか? どうやって洟をかむのか?

“キルギス人は洟をかまないのか”とも想像しつつ村で生活しているうちに、村人たちが鼻をかむのを見る機会があった。もちろんティッシュペーパーは使っていない。ではどうやって? 何を使って?

手洟《てばな》をかむ、というやつである。

手の指で片方の鼻孔を押さえ、顔をちょっと前に突きだしてから、思い切り押さえていないほうの鼻孔から息を出す(顔を突き出すのは、洟汁が己れにかからぬようにするためであるのは説明するまでもない)。鼻を押さえる時は、親指を用いると様になる。これも手に洟汁がかからないようにするためには必然のスタイルなのだ。

なるほど、この方法ならばティッシュペーパーは要らぬ。洟はティッシュペーパーでかむものだという固定観念があると、こんな原始的な所作でさえ思いつくことが出来なくなってしまうものなのかと、自分の愚かさを恥じた。

しかし、これと似た話はいくらでもある。象徴的だったのは、東日本大震災が発生後、人々がトイレットペーパーの買いだめに走ったという現象ではないか。“尻はトイレットペーパーで拭く”という普段の習慣が、そのまま固定観念となり、“トイレットペーパーがなければ尻が拭けない”という強迫観念になる。

考えてみれば、トイレットペーパーが無かろうが、用便後の尻の世話なんて、いくらでもやり方があるはずだ。途上国の生活は、そういう場面で参考になることが多い。トイレのことも、近く書きたいと思う。

トーストを食べない

休日、同じ村の隊員とカフェで食事をしていたか何かの時、“日本に帰って食べたい物”という、本当に何の役にも立たない、しかし協力隊の任期中に何度もしてしまう馬鹿な話をしていた。

もちろん、寿司だとか、刺身、天丼、カツ丼、鰻重、等々、海外生活者にとっては定番の日本の食べ物が出ていた中で、一人が「トーストしたパンを食べたい」と言ったので、いささか不思議に思った。なにせ、キルギスでは毎食必ずパンは出ているのだから、いまさら「パンが食べたい」というのもおかしな感じなのである。

だが、よくよく考えてみると「トーストしたパン」というのは、確かにキルギスの食卓では見ない。

パンは、ほとんどの家で、その家にいる女性が焼いている。そして、食事の時はパンは欠かせない。日本人にとっての米飯とほぼ同じ感覚だと思う。しかし、そのパンをさらに火であぶって(トーストして)食べるのは、キルギス人に限っては見たことがないのである(確か、首都ビシュケクのホテルでは、モーニングのバイキングに、トースターが置いてあったような気もするが、記憶が定かでない)。

これだけパンを食べる文化であっても、パンの食べ方のバリエーションは多くないのであろうか? このあたり、都市部と村落部での違いもあるかも知れない。首都ではトーストして食べるキルギス人家庭もあるのかも知れない(ただし、渡航後最初の1ヶ月ホームステイさせてもらったキルギス人家庭でも、パンはトーストしていなかった)。

それにしても、他人というのは、私が気付かぬことも感じたり思ったりしているものだ。他の隊員から「帰国したらトーストが食べたい」と言われるまで、私はキルギス人がトーストを食べないことに気付かなかった。

2011/12/06

キルギスで見つけたチェブラーシカグッズ

日本でも有名になったソ連時代の人形アニメーションのキャラクター。あのキャラクターの絵が描かれた商品を見つけたので買った。

soap

この写真からだけでは大きさも分からないから、チョコレートなどの菓子の包装ようにも見えるかも知れないし、あるいは枕くらいの大きさの物が包まれているようにも見えるかも知れない。

ロシア語が読める人なら”ДЕИСКОЕ МЫЛО”と書いてあるので分かると思うが、これは「子供用石鹸」と書かれているのである。子供向けアニメのキャラだから、子供用商品のイメージに使われるのは普通と言えば普通のことだが、でも、ソ連時代にもこの手のキャラクター商品はあったのかしらん?

私は、アニメ作品としての「チェブラーシカ」は、何年か前にDVDを買って観ていた。ロシア語はキルギスへ来ると決まるまでは勉強していなかったので、当時はロシア語は分からず、吹き替えか日本語字幕で観ていた。

ロシア語の短期訓練が終わって、久しぶりに「チェブラーシカ」を観てみて、画面に出てきているロシア語(зоопарк = 動物園、ремонт = 修理、修理中、など)が読めたのは嬉しかった。こうして学習したことの成果を確認できることは、語学学習を続ける上では大切なことである。

「チェブラーシカ」は子供向けアニメだから、言葉遣いもやさしいものになっている。だから、ロシア語の入門書を終えた程度で、結構、表現が理解できる。それでも、まだすべては分からない私なのではあるが…

2011/12/04

もう見ない風景

協力隊の任期は2年である。私は2010年7月にキルギスに来て、2012年7月に帰国する。任期での2年目もすでに4ヶ月が過ぎた。

その国、地域のことを知らずに来るわけだから、最初の1年目は多くのことが初めて見聞きすることである。1年に1回、その時季に行われる地域の行事は、隊員は多くても2回しか見られないことになる。

2年目に入ってそういう行事を観覧していると、「ああ、来年のこの行事を、自分はもう見ることはないんだな」と思う。来年の今頃はおそらく日本にいるはずだ。キルギスでこの行事を見ることは、おそらく、もう生涯ないだろう。ちょっと寂しい気持ちになりながら、目の前で行われていることがすごく貴重な一コマであるように感じられてくる。

これは行事だけに限らない。季節の移ろいもまた同じように感じらる。ポプラなどの街路樹が一斉に紅葉(ポプラは黄色になるが)し、葉を落とし、村から緑が減り、剥き出しになった枝と舗装されていない道の茶ばんだ印象の景色。なんとなく心を沈ませる色合いの冬の村の様子も、次の春が来たら、もう私は二度と見ることがない。

winter_scene
(落葉した樹木、冠雪した山々)

Bishkek_winter_street
(ビシュケクの冬景色)

そんなことを考えると、一つひとつの風景、出来事がすべてもう取り返すことのできない貴重なもののようにも思える。そう思ったからといって、時間を大事に使うようになっている訳でもない。ただ、来年の同じ時季には自分がここにいないこと、自分がいなくてもこの国、この村の人々は同じように生活し、景色も同じように季節を迎えるということ、それがなんとなく不思議な心持ちにさせるのである。

lunch_party (国際障害者の日にちなんだパーティー。来年は見ることはない。)

2011/12/03

オリオン座

夜、トイレに行った際、星が良く見えていたので、今日なら星座が写せるかもと思い、撮影にチャレンジ。

オリオン座の撮影ができた。

orion(クリックで大きな画像を表示)

星の撮影は露出時間を長くしなければならない。1枚撮影するのにも30~40秒くらいはかかる。冬場の星撮影は、寒さとの勝負である。

2011/12/02

キルギス、新大統領就任

10月に行なわれた大統領選挙で当選したアタンバエフ氏が、12月1日に新大統領に就任した。

Almazbek Atambayev comes into office of the President of Kyrgyzstan

自分が分かるところだけ読んで理解したところでは、「アタンバエフが新大統領に就任した。神と国の前で、法律に基づいてこの国を良く導くことを宣誓した」「オトンバエフ前大統領は“新大統領が公平かつ誠実に働くことを信じている。我々は、キルギスの歴史において特筆すべき時を目撃している。我々は自分たちでこれからの方向を選んだ。この新しい政治的習慣が続いていくことを望んでいると語った」というところだろうか。

もう退任されたので書くが、前大統領のオトンバエバさん、個人的には日本のお笑い芸人ハ●センボンのは●なに似ていると、キルギスの隊員仲間にはずっと主張していたのだった。「言われてみれば」と賛同(?)する人も多かった。ネットで写真はすぐに探せるので、興味があればご覧あれ。

顔が誰に似ているかは別にして、中央アジア初の女性大統領であり、2010年の革命で当時の大統領失脚後から民主的な選挙による次の大統領への引き継ぎまで、きちんと仕事をしたと言えるのではないか。キルギスの周辺国が軒並み独裁色の強い政権運営をしているのに比べると、この国は特異な存在である。

同期の隊員と電話で話していたら、今日の新大統領就任のテレビ中継を見て、職場のおばちゃんが泣いていたそうである。2代続いて大統領の汚職→革命勃発→失脚という状況があり、オトンバエバ前大統領から選挙で選ばれたアタンバエフ新大統領の就任となり、この国の人にとっては感慨深いものがあるのだろう。

多少なりともキルギスに関わった者として、アタンバエフ新大統領がどのように国を導いていくのか見ていきたい。任期は6年で再選は不可。

2011/12/01

サンスクリット語から来たロシア語

呉智英(くれ ともふさ)著、『つぎはぎ仏教入門』(2011年、筑摩書房)を読んだ。

もともと、私は呉智英氏のファンであるが、この本も呉氏らしい視点・批評で日本の仏教について書かれていて、勉強になる本であった。

この本の中(p.40)にロシア語の話が出ていて、呉氏の博識ぶりにあらためて驚くと同時に、ロシア語の勉強になった。

ロシア語で「目覚めさせる」を表す言葉にбудить /ブディーチ/ というのがあるが、この言葉の語源はサンクリット語であり、仏陀《ぶっだ》、すなわち「目覚めた者」と語源を共にする言葉なのだそうだ。

(ちなみに、仏陀は人の名ではない。釈迦という名の人が、すべてのことを覚《さと》ったことで、「仏陀 = 目覚めた者」になったのである。)

前に、僧侶を表す「ぼうさん」が日本からポルトガルあたりを経て、ロシア語に入りбонза /ボンザ/ になったという話を当ブログ(2011.5.9「ボンズ頭」)で書いたが、ここにもまた仏教にゆかりのある語があったわけである。

外来語の中には語源から派生した末にニュアンスがかなり変わってしまうものもまま見かける。例えば、パビリオン(ロシア語でもповильон /パヴィリオン/。英語、仏語ではpavilion)の語源は「蝶」を表すラテン語なのだという。英語にpapilionid(アゲハチョウ)というのがある。そこから、蝶が翅《はね》を広げた形に似ているということで「テント、天幕」に転化し、今は「展示館」という意味で使われている。

それに比べるとбудитьは語源のニュアンスを残したままロシア語に定着した語ではないかと思われる。ただし、サンスクリット語の原語(bodhi)の意味は「目覚めること」であるが、ロシア語будитьは「目覚めさせる」と他動詞になっている点については、語のニュアンスが変わっているように思う。

さらにбудитьから派生したбудильник /ブディーリニク/ は「目覚まし時計」である。これはご愛敬という感じである。ロシア人たちも、まさか自分たちが朝起きる時に使う道具が、サンスクリット語起源の名称であるとは思い到るまい。