2011/11/28

数年後の日本から、今の日本はどう見えるのか?

ここ最近の、日本の政治に関することで私が関心を持っているのは、TPP参加問題と大阪府知事・市長選挙の二つであった。そのうちの一つ、大阪ダブル選挙が、27日に投開票が行われ、既に結果が報道されている。

私たちは今生きている時代、生活状況の中で、色々な思いを持って投票をし、政治の方向性を選択している。いや政治に限らず、色々なことについて大小様々の選択をしている。

その時々には、それが自分たちの望むものに近づくベターな選択だと信じて選ぶのだが、後になって、その選択が自分たちに禍《わざわい》をもたらすこともある。

思えば、7~8年前に郵政民営化などの「構造改革」を唱道する宰相に、国民が熱狂し(あれは確かに熱狂、フィーバーだったと思う)、高い内閣支持率の下で国の制度が大きく変わった。「民営化」「構造改革」というキーワードは、市場の競争原理をさまざまな領域に拡大流布させることで、行政や諸々の公共サービスが効率化され、サービス料金の値下げ、優良事業者の選別(劣悪事業者の駆逐)が進むと期待された。

私が身を置いていた福祉業界や、また医療業界も、競争原理の中で、サービスの効率化と費用の削減が要求された。その要求は、一面ではまっとうなものであったかも知れないが、結果的には費用の削減のために、サービスの質・量を下げ、あるいはサービスの提供そのものが無くなるという事態を多く招いた。

何がいけなかったのだろう…?

個人的には、市場原理に対する過剰な・無批判な信頼を置き、また常に収益増大を指向する発想に、何か大きな見落としがあるのではないかと思っている。それらは私自身がこれまで当たり前のものと、疑いもせずに受け入れていたものであったかも知れないが、それらを野放しにしていたために、私たちはゆっくりと自らを崖っぷちに追いやっていたきたのかも知れぬ、と考えたりする。

7~8年前の政治的熱狂(本当に政治的に理解していたというよりも「コ●ズミ劇場」と例えられたように、ワイドショー的な興奮だったのが実体かも知れないが)の後、今になって、あの時の自分たちの熱狂が招いた事態の深刻さに青ざめている(少なくとも私は)。

今、私たちの目の前で起こっていること、その一部には自分も関与していることが、数年後に「ああ、あの時、あの選択をしていたのが、ターニングポイントだったね」という結果を招いるかも知れない。何か、そんなことが目の前で今起こっているのではないか、と考えてしまうここ最近である。

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