2011/11/10

日本、日本人、日本企業のイメージ

この数週間で、日本企業の巨額(数百億円!)の不祥事が続いた。製紙会社のDと電子機器メーカーのOで、それぞれ事件の内容は異なるが、それだけの額を操作し、不正を隠そうとしていたことに呆れる。

D製紙のほうの社員は、「ティッシュを売って、100億円の収益をあげるのにどれだけの苦労が必要か…」と涙目で語ったとか読んだが、ホント、お気の毒という感じであった。それに、パルプを作るために、世界各地で森林を伐採しているわけで、住処《すみか》を追われた現地住民、動植物たちも浮かばれまい(まあ、企業の不正があろうがなかろうが浮かばれないのだが)。

電子機器のO社のカメラは好きで、これまでも何台か使って来たのに…。CMに出ているスケートの女子選手も気の毒と言えるかも知れない。

たまたまかも知れないが、こんな事件が立て続けに明るみに出れば、世界の人々の印象には「日本ではそういうことが頻繁に起こっている」と残り得るし、さらには「日本人はそういうインチキをする連中だ」と、(論理を飛躍させて)思い込む者もあるかも知れない。

そういうイメージが定着すれば、海外企業との取引きで不利になる状況も出てくるだろう。「どうせあんたたち(日本人)はずるをするんでしょ」「あんたらを信用できないから、取引きするなら保証金を倍出しぃな」とか、買い叩かれることが出てくるのではないか。

お世辞も多分にあるのは承知だが、海外での日本人の評判は結構良いと思う。国名は挙げないが、中にはどこでも概ね嫌われてしまっているような国・国民もいくつかある。嫌われる理由というのが根も葉もあるのかどうかは知らぬ。しかし、一度でも、その国の人から嫌な思いを味わわされた者は、「○○人は(全員)嫌な奴らだ」と信じるようになっても、由《よし》無しと一蹴はできまい。

逆に考えてみれば、もし、これまで海外における日本、日本人、日本企業のイメージが良いものであったとしたら、それは一朝一夕にできあがったものではなく、これまで我々の先人たちがコツコツと積み上げてきた「信用」という名の蓄えがあったからだ。

「オレは個人の力でやっていくから、日本とか日本人とかはカンケーねぇよ」と言う者も、自分の知らない何十年も前の日本人の作った信用貯蓄の恩恵を、どこかで受けていないとも限らない。また、自分が何年か何十年先の人たちのために信用貯蓄を積み重ねることもできるかも知れないし、逆に負債を作る可能性もある。

信用を得るには何年もかかるが、信用が崩れるのは一瞬、というのはどんな場合でも本当である。海外にいる身としては、自分自身が日本人代表だということを胸に、ここでの残りの暮らしをしなければと思う。

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