2011/10/09

白昼、路上飲酒

真っ昼間から酒を飲むのは、背徳的な喜びがあり、その分、なんだか酒が美味く感じる。という話はよく聞く。私もたまに昼間にビールを飲み、「お天道様の下で飲むビールはうめぇな」などと分かったようなことを言うのである。

さて、ここキルギスであるが、白昼から酒を飲んでいる男達をみるのは、珍しいことではない。私勝手に推測する感じでは、道行く成人男性の10人に1人くらいは赤ら顔である。

そして、路上で酒盛りをしている男達もよく見かける。道の端のほうで、小さな輪を作って、そこでウォッカを飲んでいる。

路上飲酒

路上で飲む人の他に、道端に停めた乗用車の中で、前座席・後部座席に4~5人の男達が詰め合いながら酒を飲んでいるのもよく見かける。運転手が飲んでいるのも見る。

なんで路上で飲むのか、それが私には不思議である。食堂(カフェ)で飲むのは高いからか、とも思うのだが、キルギスでは大抵の場合、酒・ジュースの類を持ち込むのはOKである。まあ、食堂に入ったら、なんか注文はしなければいけないとは思うが。その出費を避けるために路上で飲酒するのか?

まあ、食堂は食堂で、男達が集まって昼間から酒を飲んでいるのはよく見る。食堂の数自体が少ないから、わざわざ食堂まで行くのが面倒だから、路上で飲むというのもあるだろう。中心街に近い連中は食堂で飲むのか。

店がだめなら、家の中で飲めばよかろうにと思うのだが…。実際のところ、屋内で集まっていても、外からは分からないから、大抵の人達はそうやって飲んでいるのかも知れない。

酒を飲む男達は、ほぼ決まって「俺たちは仕事がないから酒を飲むんだ」とか「収入がなくて、この先のことを考えると気持ちが塞《ふさ》ぐから、酒を飲んで忘れるのさ」ということを言う。その理屈は分かる。日本でだって、そういうことはあるし、私だってそうなるかも知れない。

しかし、そういう現実逃避の酒というのは、依存的になりやすく危険である。酔うことで一時的に陰鬱な気分は忘れることができても、実際には、酔うことで働く機会を遠ざけているので、「仕事がない」という状況は深刻になり、それを忘れるためにまた酒をあおる。依存症とか中毒というのは、(酒に限らず)、このような悪循環に陥り、社会生活に支障をきたすから問題なのである。

こういう光景を見て私が一番暗澹たる気持ちになるのは、父親・祖父達のこういう姿を見て、今の子供たちもまたいずれは同じように路上で酒をあおる一群に加わっていくようになるであろうことだ。みんな、子供の頃は水汲みだの子守だの、家の仕事をよくやっている(日本でこれだけ家事をさせて“もらえる”子供は稀だろう)。それが、大人になり「稼がなければならない」状況になると、稼ぐ宛がないと言って酒に向かってしまう。

もちろん、すべての人が酒浸りの生活をしている訳ではない。また、私は田舎の村にいるからこういう光景を多く目にするだけかも知れない。都市部だったらまた違った生活文化が形成されている可能性もある(オフィスで働く連中が、真っ昼間から路上で飲酒をすることはそもそも不可能だし)。

飲酒を全否定するものではないが、なにかもっと上手な飲み方はできないのかと、この国に一時《いっとき》居住する外国人としては思う。

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