2011/08/31

夏休みが終わる頃

8月31日である。

私の出身地は9月から二学期が始まっていたので、8月31日は夏休み最後の日であった。憂鬱な気分だったと記憶している。

何よりも、夏の絵日記のような宿題が溜まっているのが憂鬱のタネであある。毎年、そのパターンを繰り返していて、我ながらどうかと思うのだが、考えてみると、あれから何十年経った今も、基本的なパターンは変わっていない。

開き直る訳ではないが、「三つ子の魂百まで」で、個人の根本的な性質は、小学生に上がるまでにはおおよそ顕れており、生涯に渡ってその性質はずっと伏流しているように思う。

就職すれば、外部圧力が高くなるから、良くも悪くも自分の性質を押し通し続ける訳にはいかなくなる。そういう意味では、就職というのは第二の人格形成の時期だと思う(特に最初の2,3年)。それでも、外部圧力の受け止める時に、それ以前からある性質がフィルター、バイアスをかけるから、そこにその人らしさが自ずと出る。

そういう自分の性質というのは、違う環境に身を置くと自覚しやすくなる。

同じ環境にいると、人間関係にせよ、物事の段取りにせよ、一定の均衡状態に収束していくから、そこに新しいことを発見・感知するのはなかなか難しい。従来と違う環境に身を置く(旅行、引っ越し、転職など)と、慣れないことに出会い、スムーズにいかないこと(土地勘、言葉、食事など)に対処しなければならず、そこに自分の「地」が顕れる。

何度かそんなことを繰り返しているうちに、自分の行動パターンというか、物事への対処の仕方の傾向が見えてくる。内田樹が「自分が失敗する時のパターンを学ぶ」みたいなことを書いていたと思うが、その話を聞いて納得したものだ。

30年前の自分は、よもや30年後にこんな人間になっているとは思っていなかった(と思う)が、その頃の「彼」の中に、すでに30年後の「私」がいたのである。

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マレーシアも独立記念日

8月31日はキルギスの独立記念日であるが、この日はマレーシアでも独立記念日である。

協力隊で派遣された2つの国の独立記念日が、奇遇にも同じ日なのであった。ちなみにマレーシアの独立年は1957年なので、今年で54周年。

二本松訓練所でマレー語の語学研修の担当をしていただいた先生が、「独立の時、お父さんに肩車にしてもらって、周りの大人たちが『ムルデカ(merdeka)! ムルデカ!』と言っていたのを覚えている」と幼少時の思い出を語って下さっていた(merdekaは「独立」の意)。

そういえば、日本には独立記念日というのはない(建国記念日はあるが)。独立というからには、他国から支配を受けていた訳で、独立記念日の有無はその国がたどった歴史が反映されている。

ことのついでという訳ではないが、キルギスの隣国ウズベキスタンも8月31日が独立記念日である。ウズベキスタンも旧ソ連の一員だった国だから、独立記念日がキルギスと同日になったのは奇遇ではない。ウズベキスタンも独立20周年。

2011/08/30

オロゾー・アイト

どうやら今日あたりが新月にあたるようで、陰暦では月が変わる。前の新月からの月齢の1ヶ月が経ち、イスラム教の断食月も今日の新月を以て終了する。

キルギス語では断食は「орозо(オロゾー)」で、断食が明けることは「орозо айт(オロゾー・アイト)」。職場やホームステイ先などでは、オロゾー・アイトの祝いが行われた。といっても、この1ヶ月の間、イスラム教で定められた方法で断食をしていた人はどれだけいたか…。「断食が明けた」と言っても、これまでも食べていたので、特に断食月が終わった達成感というか、実感はないようである。

前回派遣先だったマレーシアでも断食明けは経験したので、それはあらためて別の記事として書くが、マレーシアの断食明けの祝いは大きかった。

私にはその印象があるので、昨年、キルギスで断食明けを迎えた折には、「あれ、断食は本当に明けたんだろうか?」と思うくらい、日常生活に別段の変化は見られなかった。昨年は、キルギスに来た直後ということもあったから、十分に状況が把握できなかったのもあると思う。

今年は、周囲の人たちが「今日はオロゾー・アイトだ」と言っているのを聞くので、キルギス人も断食明けを意識していることは分かった。

ホームステイ先では、近所に人や親しい友人を招いての食事会。料理はプロフであった。つつましやかな、という感じの食事会であったが、それがかえって伝統的な行事という雰囲気でよかった。

キルギス、独立20周年

明日8月31日は、キルギスの独立記念日で祝日である。今年は独立20周年にあたる。

といっても、村では20周年に向けた盛り上がりは見せていないのだが、一応、明日は村にあるスタジアムでイベントが行われるとの情報はある。首都では大きなイベントがあるはずである(そういえば昨年の8月31日は首都にいたが、交通規制にはまって、宿泊先に帰るのに難儀したっけ)。

キルギスの人たちは独立をどう受け止めているか。

国民の多数であるかどうかは分からないが、私が聞く話としては、ソ連時代のほうが良かったという郷愁が多い。キルギスは、旧ソ連の国の中では、珍しく(?)ソビエト連邦が継続したほうが良かったと感じている人が多いらしい。その証左になるのか、キルギス国内ではいまだにレーニン像がご健在である。

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ソ連崩壊の時、その象徴的なニュース映像だったのが、民衆がレーニンの像を引き倒している光景であった。それがいまだにきれいに残っている。「ソ連時代には仕事がたくさんあった」「道もきれいだった。壊れてもすぐになおされた」などなど。40歳以上の人が、ソ連時代の恩恵を懐かしそうに語るのを聞いていると、キルギスの人たちにとってはソ連による政治支配というのは、マイナスよりもプラスが多かったのかも知れないと思う。

この辺りも微妙な話で、20年前、この国が誕生した時にそう考えた人はどれだけいたのかは分からない。当時は希望に満ちた未来を期待していただろう。20年経ち、自分たちの置かれた状況を見た時に、「昔は良かった」的な回顧が生まれている可能性は高い。とは言ってみたところで、もうソ連時代に戻ることはない。

政治的なことは年数が経たないと評価が難しいのであるが、政治体制的には議会制民主主義への移行が進んでいるし、周辺の旧ソ連国たちがやや長期独裁的な政権になっているのに比べれば、「民主化」は進んでいると思われ、紆余曲折を経ながらも、この20年の中でキルギスが実りをつける方向にあることを願う。

2011/08/29

へそで茶を沸かす

キルギス語のкайнат(カイナット)は「沸かす、煮立たせる」という動詞である。この動詞が「お茶」を目的語を取るのを見つけたが、これは日本語の「お茶を沸かす」と共通している。

たまに「お茶を沸かす」というと、「お湯を沸かして、お茶をいれる」のだと訂正する人がいるのだが、それを洒落でなく言っている人は、ほかの慣用句も否定するつもりなのかと疑問に思う。茶を使った慣用句では「へそで茶を沸かす」があるが、これもダメというだろうか…。

私のキルギス語の習得レベルではとても慣用句まで手が回らない現状であるが、「お茶を沸かす」があるなら「へそで茶を沸かす」もあるかも(…そんな訳ないか)。和露辞書では「へそ」の項目下に「おへそが茶を沸かすよ」というのがあって、「Смешно(滑稽だ)」という語があてられている(『コンサイス和露辞典』)。

おそらく、“滑稽”とか“くだらない”を表現するのに「へそで茶を沸かす」なんて言葉を編み出したのは日本語くらいだろう。どんな人が、どんな経緯でこのフレーズを発明したのか…?

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2011/08/28

やむを得ず(?)のごみ処理方法

以前のブログで、ごみの収集車を見たことがないと書いたが、それは村での話で、首都のビシュケクでは見たことがある。このあたり、都市と地方の生活格差みたいなものがある。というより、都市部では団地も多いし、ごみを各家庭で処分するには限界がある。必然的にどこかに移動させて処理せざるを得ないのであろう。

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ごみ収集が行われない村では、溜まったごみをどうするか。

うちの職場の敷地には、大きなコンテナがあって、オフィスのごみ箱に溜まった紙くずなどはそこにぶち込んでいる。しかし、コンテナも半年くらいすると一杯になるので、今度はコンテナに溜まったごみを何とかしなければならない。

私が職場に配属されてから一度だけ見たのだが、男スタッフ衆がオフィスの前の通り端を掘り、大きな穴を作った。そしてそこにコンテナのごみを流し込んで、土をかぶせて終わり。これでコンテナもまた半年は使えるということか…。

それにしても、道路を掘り返すのにも特に役所の許可を受けているという感じでもなく、「この辺を掘りまひょか」的な感じで半日作業で、掘って→ごみを流し込んで→埋め直す、をやってしまうのを目の当たりにして、環境保護とかとは別の視点で、彼らのたくましさを感じたものだ。

環境保護の視点で見れば…、電池とかビニール、ペットボトルを埋めているので、もちろんアウトである。

2011/08/27

夜に昼食?

(前回の話の続き)

大抵の日本人家庭では夕食をその日のメインに位置づけていると思うから、ロシア語のобед(アビェド)を「昼食」と訳して理解していると、ちょっとしっくり来ない感覚を味わうことがある。

一つは、ホームステイ先などで夕方に「обедだよ」と声をかけられる時。「え? もう夕方なのに、今から“昼ご飯”?」と思ってしまう。これは、その時間にその日の中では一番手間をかけた料理をしているということである(「手間」と言っても大袈裟なことではない。それ以外の食事はパンとお茶だけとかだから、それに比べての話である)。

もう一つのしっくり来ない感は、こちらは「夕食だ、ガッツリ食べよう」と思っていても、キルギス人のほうは昼にобедを済ましているから、夕食は軽く(上述のようにパンとお茶だけとか)にしている場合である。パンとお茶だけとなると、なんだか夕食なのに喫茶店のモーニングサービスのような気分である。あるいは軽く済ませようという昼食か。夜にランチをとっている感じである。

夜にガッツリ食べるというのは、あくまでも一つの習慣であって、別に自然の摂理に則っているわけではない。それに、夜にたくさん食べるのは健康にはよくないとも聞く。昼をメインにするのが体にはよいのだとか。обед文化のほうがいいっていうことかも知れない。

昼にディナー? (ロシア語обедと英語dinner)

他の文化を見ようと思った時に、まず最初に入ってくる情報は食事に関することである。どんな食材、どんな調理方法、また食事作法なんかもそこに含まれる。

さて、ロシア語を勉強した時に、обед(アビェド)という単語を「昼食」と覚えたのだが、現地に来てみると、昼食時だけでなく、夕食の時間帯に「обедを食べる」と言っているのを聞くこともある。

обедは元来「その日のうちの主食」という意味であるらしく、英語のdinnerに対応する。英語のdinnerの「夕食」と対応させて覚えているが、辞書で調べ直してみると、こちらも「その日のうちの主食;正餐」という説明が付いている。

обедもdinnerも、その日のうちで一番ボリュームのある食事を指すようだが、日本語ではこういうふうに食事を捉えることは稀であり、日本語では時間帯で朝食・昼食・夕食(晩食、夜食)と捉える。ロシア語圏・英語圏では食事のボリュームで名称を対応させているのがおもしろい。

ただ、ロシア語と英語で違うのは、обедが日本語では「昼食」と訳されているように、ロシア語圏では昼から夕方にかけての午餐《ごさん》をその日のメインにしているらしい一方、英語のdinnerが「夕食」と訳されるのは、英語圏では晩餐を一日のメインにしているらしいことである。

大雑把なくくりだが、ロシア語圏は昼に、英語圏は夜にメインの食事をとるということか。

キルギス料理「プロフ」

キルギスでメジャーな料理の一つがプロフ(плов)。

plof

これは米をにんじん、肉と一緒に炊きこんで作る料理で、おそらくピラフと語源が一緒だと思われる。ただし、仕上がりの色、味はピラフとは異なる。

正確には「プロフ」はロシア語。キルギス語では「パロー(палоо)」。ロシア語にあるということは、ロシアでも食されているわけで、旧ソ連の国・地域にはプロフはあるだろうと推測する。

肉は羊を使うのがほとんどだが、鶏・牛も使う(もちろんキルギス人は豚は使わない)。ある知り合いの家では、スパイスにクミンシードを入れていて、これが香り爽やかですごく美味しかった。キルギスで食べたプロフの中ではそれが一番。

日本人としては、こういった米料理があると嬉しい。だが、キルギス人にとってはこれは「おかず」的な位置づけで、プロフを食べながらパンを食べるのである。この辺が日本人としては違和感のある所なのであるが、逆に彼らからしてみると「どうしてパンを食べない?」と、プロフしか食べないこちらのほうを不思議に思うようである。

プロフは一度に大量に作り、大皿に盛って出す(上の写真は分かりにくいかも知れないが、約8人分くらいの盛りである)。それを各自の皿に取り分けて食べる。客がいる時は、家人が「さあさあ、もっと食べて」とよそるのがもてなしとなる。家族同士とかなら、皿に取らずに、直接スプーンを入れて食べることもある。

2011/08/26

キルギス料理「ショルポ」

キルギスの料理ももっと紹介しなくてはならんですな。

ШОРПО(ショルポ)はスープのこと。羊、または牛、馬などの肉を煮込んでだしをとり、そこにじゃがいもを入れたもの。

shorpo

写真に写っているじゃがいもは、私が食べかけた後で申し訳ない…(大体、食べ物の写真というのは、食べかけてから「あっ、写真取り忘れてた!」と気付くのである。これは私だけではない)。

この写真では具はじゃがいもだけだが、家によっては、にんじんも入っている。また、だしをとった時の肉を入れてあるものもある。

聞くところでは、だしをとるために羊なら4時間、牛・馬なら5~6時間煮込みの時間が要るらしい。この間、灰汁《あく》がどんどん出てくるから、それをとらなければいけないが、それは男子の役割と決まっているそうである。だから、人の家でやるお祝いに行くと、釜の前でずっと番をしている若い男を見るのである。

この灰汁とりを丹念にやらないと、スープのできあがりがくさくなり、また濁りも残ってしまう。現に「あ、このショルポくさいなぁ」というのにも、何度か出会ったことがある。

逆に「これほど美味いショルポはない!」というのも一度あり、それは知人宅で出たショルポだったが、勧められるままにお代わりを3杯させてもらった。そこの家でまたショルポをご馳走になりたい、というのが私の残り1年の願望の一つである(はしたないねぇ…)。

2011/08/25

焼きマントゥ

最近はまっているキルギスの食べ物が「焼きマントゥ」である。

キルギス人とカフェ(日本でいうレストラン)に入った時、焼きマントゥというのを注文しているのを見て、自分も注文してみた。

もともと、マントゥという料理があって、これは餃子と同じような皮(厚め)に羊肉、玉ねぎのミンチを詰めて閉じ、蒸した饅頭である(手持ちのデータに写真が見つからず…)。

マントゥだけなら、中央アジアで広く食べられている一般的な料理のようである。名前からすると中国のほうから伝わった料理であろう(「饅頭」を音読みすれば「マントウ」である)。

そのマントゥを焼くと、皮がパリッとして香ばしくなり、とても美味しいのである。

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キルギス国内の、他の地域の隊員に訊いてもこれは食べたことがないという。ウズベキスタンから来た人も見たことも聞いたこともないとのこと。すると、うちの村の隠れ特産メニューなのか?

この1ヶ月ほど、機会を見て村内のカフェへ行って焼きマントゥを注文。マントゥを置いている店なら、メニューに「焼きマントゥ」がなくても、大抵は焼いてくれることも分かった。面白いことに、こういうものを焼くとすれば、日本人なら底の方を焼くという発想になると思うが、こちらでは底は焼かずに上だけ焼く店もあった(底、上ともに焼く店もあり。私はそっちのほうが好きである)。

ボコンバエバ村の焼きマントゥは食べ尽くしたと自負しているので、焼きマントゥのことなら私に尋ねてほしい。ちなみに、これを注文する時は「жареные манты(ジャーレニー マントゥ)」(そのまま「焼いた(揚げた)マントゥ」の意)。

2011/08/24

秋っぽくなってきた

続けてアイスクリームの話題を書いたが、こちらは日中の日なたはまだ暑いものの、日が落ちてからは肌寒いくらいの季節になってきた。秋が近づいている。というより、秋になったと言ってもよいかもしれない。

季節の変わり目だからか、夕方から夜にかけては雨が降る日が多くなっている。気圧の配置が変わってきているということではないか。

9月に日本から知人が遊びに来てくれる予定だが、半年ほど前に「キルギスに行くならいつくらいがよい?」と尋ねられ、「7~9月ならいいんじゃない」と答えていた手前、先週・今週の季節が変わっていく様子は、ちょっと彼らに申し訳が立たない気がしている。

まあ、これもキルギス。冬はもっと寒いんだから、それに比べたらマシということで勘弁願おう。

2011/08/23

アイスはゆっくり食べるもの?

他の人と一緒にアイスクリームを食べていると、大抵、私は早く食べ終わってしまう。

私の場合、アイスを「舐める」というよりも「食べる」という感じだから、減り方が早いようなのである。それに対して、他の人は舐めながらアイスを攻略していくので、ゆっくりなようだ。

これは日本人と一緒の時の話。キルギス人ともなると、さらにゆっくり味わうようで、先に紹介したスタカーンチキなんかも10分くらいかけて食べている子供をよく見かけるのである。そんなにゆっくりだと、アイスクリームが溶けてきて、手が汚れるんじゃないかと思うんだが、それほどベチャベチャに汚している子供は見ないから、何かコツでもあるのか…。

そういえば、以前、キルギス人たちと軽食を取った時、パンと一緒にアイスクリームが出てきた。しかもアイスは一つだけで人数に足らない。どうするのかと思ったら、袋を開けてそのまま放置。そして、アイスがでろんでろんに溶けてきたところで、パンにそれをつけて食べていた。

私も見まねで同じように食べてみたが、これが美味しい。アイスクリームをパンにつけるミルククリームに見立てて食べているような感じだ。練乳ほど甘くなく、溶けているとはいえ冷たさも残っているから、菓子パンを食べているような感じなのであった。

日本ではそういう食べ方をしている人は見たことがない。案外とこんなことって気付かないものなのだ。

2011/08/22

むき出しアイスクリーム「スタカーンチキ」

キルギスは、緯度は高いが夏は35℃を超す暑さになる。こういう季節はアイスクリームが欠かせない。

日本のように、棒にアイスクリームがついて、チョコレートでコーティングされたようなものはこちらにもある。1本15~20ソム程度(約20~35円)。

しかし、私がこの夏、一番お気に入りで食べ続けたのが、写真のようなソフトクリームのようなアイス。

cup_ice

コーンのカップにアイスクリームが入っていて、上に紙がついている。実は、このアイスはこの形でそのまま売られているのである。

最初に見た時は、「不潔だな…」と思ったが、食べてみると美味しい。しかも激安で、1個6ソム(約10円)。同じシリーズでチョコ味、バニラ味などもある。

店の冷凍庫の温度が高かったり、停電で一時冷凍が止まったりすると、アイスクリームが溶けてしまい、写真のように隣のアイスがくっついていたり、丸形であるはずのカップが菱形になっていたりする。それもまたご愛敬。

このタイプのアイスクリームのことを「スタカーンチキ(стаканчки)」と呼ぶらしい。「スタカーン」はカップのこと。そのままのネーミングである。

このアイスの一番よいところは、上についている商品シールの紙以外はすべて食べられること。ごみが少ない。時には、最初からシールがはがれちゃっていることもあるから、その場合はごみゼロ。日本で売っても、みんな汚がって買わないだろうけどね。

2011/08/19

エコ意識がない?

途上国と呼ばれる国へ行くと、たいていはごみが路上に放られているのが目につく。キルギス
でもごみが辻にどさっと積まれていたり、ペットボトル、空き瓶、ビニールなどが道端に落ち
ているのをよく見る。

最初は「エコの意識がないから、平気でごみを捨てるんだな」と解釈していたが、どうもそれ
だけではないらしい。何よりも大きいのは、ごみ処理施設がないことである。

日本では、ほぼすべての自治体が定期的にごみを回収し、焼却施設で処分している。ところが、
村ではそういう回収作業車を見たことがない。環境保護に関する知識・意識とも低いのは確か
だが、それ以前にごみ回収・処分のシステムが整っていないことのほうが、ごみが路上に蓄積
してしまう要因だろう。

考えてみれば、もし自治体によるごみ回収・処分のシステムがなかったら、日本人だって溜ま
るごみをどうしてよいか困るはずである。30年前なら、町中でも菓子の包装、古雑誌を燃やす
のはよくあったが、今、同じことをやったらたちまち隣近所から苦情が殺到する。

3・11のような災害が起こり、ごみ回収システム自体が稼働しなくなれば、日本でだってごみは
溜まってしまう。それはエコ意識以前の物理的な条件が整わないから仕方がない。だから、ご
みを回収せずに路上に捨てているキルギス人たちを、意識の面だけで非難するのはフェアでは
ないと思うようになった。

(とは言え、走行中の車からペットボトルや飴の包み紙を放り捨てるのは、やはり意識の問題
であるはずだが…。どうにかならんかね、あれは。)

2011/08/18

関西のラジオでの高校野球放送

今年の夏の甲子園も今日あたりにベスト4が出そろう頃であろうか。

高校野球のラジオ中継はNHKがしているが、関西では民放局のABC(朝日放送)もしている。朝日新聞が夏の大会の主催社になっているからで、系列会社のABCが中継をしている。しかし、関東では民放局での高校野球中継はなかったから、NHK以外で中継があるのは新鮮だった。

春の甲子園は、毎日新聞主催なので、MBS(毎日放送)がラジオで中継している。MBSの朝の帯番組「ありがとう 浜村淳です」の愛聴者であったので、この期間は番組が聴けず、残念だった記憶がある。

「どちらの○○さん?」

キルギス人の名前のバリエーションは、日本人のそれと比べるとすごく少ない。

男性ならアザマット、アイベック、ウラン、ウラル、ルスタン、ルスランなど。女性ならアイグル、アイダ、キアル、ジャングール、チナーラなどがよくある名前である。

同名の人が多いので、誰かのことを話題にする場合に、人物の混同が起こりやすい。そんなわけで、話の途中に「どのアイベックのこと?」と確認しているのをしばしば耳にするのである。

電話でも「もしもし、チナーラさん? 私、チナーラです」みたいなこともよくある。まあ、日本語でも同姓の場合は同じようなことが起こるわけだが…。

ところで、日本の姓のバリエーションは、世界の国の中でも二番目に多いのだと聞いたことがある。一番多いのはどこか?

答えはアメリカ合衆国。あの国はあらゆる国から移民が入ってくるので、姓も多様になっている。そうだとすると、一つの民族での姓の多様さでは、日本人は世界でもっとも多いということになろうか。

日本人は漢字を組み合わせて姓を作るからバリエーションが多いのかとも思ったが、漢字の元祖の中国や、漢字文化圏の朝鮮も日本ほどは姓は多くないようであるから、おそらく日本独自の事情があるのだろう。

そういえば、江戸時代に「苗字帯刀」という言葉があるが、当時は武士以外は苗字(姓)を名乗ることが許されていなかったということである。昔話のヒーロー、桃太郎、金太郎も、姓のほうは伝わっていないのは、あの話ができた頃は姓は一般的でなかったからだろうか。では、浦島太郎はどうなる? 「浦島」は姓なのか、名なのか?

2011/08/16

ペルセウス座流星群でした

前の記事で「獅子座流星群が見られる」と書いたのは、「ペルセウス座流星群」の誤り。獅子座だと聞いたと思い込んでしまったが、人と話していてペルセウス座であることが分かった。

で、8/13の夜、22時くらいに空を見上げてみたが、月が明るく、星は見づらい状況だった。ペルセウス座流星群は、月が出ていても見られるくらい明るいらしいので、ねばれば一つくらいは見られたかも知れないのだが、この日の夜は寒かったので、ねばる気も起こらず、あきらめて部屋に入ってしまったとさ。

また来年、日本で。

2011/08/14

村の近くの草原で

  時間がある時、気が向いたら、村はずれの草原まで歩いていくことがある。カメラを持っていって、遠くの山や足下に咲く植物を撮ったりするのが楽しい。

山
(草原の方から村を撮るとこんな感じ)

IMG_3175 
(花と山。花は高山植物っぽいのが多い)

小さな写真で申し訳ない。コンパクトカメラでもマクロとか、ズームをうまく使うと結構ボケ味のある(遠近感のある)写真が撮れることに最近気付いた。構図はワンパターンでいまいちなのだが、メーカーの一番下くらいのモデルでもこれくらいの絵が撮れるのだと、ちょっとした喜びがある。

2011/08/13

甲子園が聴けない…

短波放送でNHKの海外向け放送が聴ける。主にラジオ第一放送がそのままリアルタイムで流されていて、日本国内だと地方局ごとのニュースが流れる時間(だいたい正時の5分前)は、「海外安全情報」という短波向けの番組(ひょっとしたら第2放送でやってるのかも)が流れる。

現在、日本では夏の高校野球・甲子園が行われているが、短波では放送されていないのである。高校野球が始まるまでの「ラジオ子供電話科学相談室」はやっていたんだけどね。

ラジオ第一の放送をそのまま流せないから、短波放送では別編成の番組を流している。なんか音楽番組が多い。音楽だと10曲くらい流すと50分番組が作れるから無難ということもあるのだろうかしらん?

70年代、80年代の曲をかける番組が続いており、私としてはその辺りの曲をキルギスでラジオから聴けるのは嬉しい。今、これを書いている時は、狩人の「あずさ2号」が流れている。

私は、私は~♪

獅子座流星群

昨日の夜、キルギス隊の仲間から電話があり、電話を取ると開口一番「今、星見てます?」とのこと。随分粋なことを言うなと思ったら、昨日あたりが獅子座流星群のピークだという話であった。

満月に近づいている月が、日没前から空で輝いていて、星の観察には条件が悪い日であったが、彼曰く「がんばれば見えます」とのこと。私も屋外にあるトイレに行った際に空を見上げてみたが、そんなにタイミングよく星は流れず、寒いのですぐにあきらめて部屋に引っ込んでしまった。

数日前にこのブログで、星の写真をアップしたが、その写真を撮った時、10分に一度くらいの割合で流れ星が飛んでいた。ひょっとしたら、あれも獅子座流星群だったのか。

(ちなみに、その隊員からの電話は別の用件がメインであった。星座鑑賞のお誘いで男に電話をしたって、彼も面白くないだろうしね、当然だわ。)

2011/08/12

現在、ラマダン(断食月)

8月1日からイスラム暦のラマダンに入ったそうである。

「ラマダン」という言葉は、日本人にも耳慣れてきたように思う。「今日からラマダンなんだって」「へぇ、そうなんだ」みたいに、いちいちラマダンが何かを説明しなくても会話が成り立つことが増えてきた。

ラマダンとは、そもそもイスラム暦の月の一つである。「ラマダン=断食」ではない。ラマダンの一ヶ月は、日の出から日の入りまで断食をするという決まりがあるのである。イスラム暦は太陰暦なので、太陽暦で見るとラマダンの時期は毎年異なる。ちなみに、ラマダンはイスラム暦の第9の月だそうだ。

ラマダンという言葉に日本人が多く耳にするようになったのは、湾岸戦争とか、9・11後のアフガニスタンでの軍事作戦の時だったのではないか。軍事作戦に影響するとかで、ニュースの解説にラマダンという言葉が出てきていた。

ラマダンに入ったとは言え、キルギスにおいてはあまり断食ムードを感じることはできない。そういえば、昨年この国に来た頃もラマダンだったが、人々が日中も普通に食事をしているので驚いた。

以前協力隊生活を送ったマレーシアは、断食月はかなり厳格にしていた(そのことは改めて書くことにする)ので、イスラム教徒はどこでもそのようなものかと思っていたが、この国に来てイスラム教徒も多様であることを目の当たりにした。

当初は「戒律に対してこんないい加減ではいかんだろう」と責めるような気持ちがあったが、イスラム教徒でない私が憤るのも筋が違うし、この問題についてはキルギス人、あるいはイスラム教徒の間で是非を問うなら問うだろうし、あるいは触れずにおくということなのかも知れない。

日本人も多くは仏教徒だけれど、肉・魚は普通に食うしね。その辺、どうなんだろう。本当にそういう戒律があるんだろうか? それすら曖昧である。肉・魚を食べているという現実があるから、そういう戒律があったとしても、あえてそれを引っ張り出してきて、「俺たちは仏教徒なんだから、肉食は慎もうぜ」という声は挙げないようにしているのか? 人間というのは、一度美味い物を味わってしまうと、堕落してしまうと言うが…。

2011/08/11

キルギスでも地震があった(7月20日)

自分が日本に一時帰国している間に、キルギスとウズベキスタンの国境地域で大きな地震があった。

ウズベキスタン東部で地震、13人死亡 国際ニュース : AFPBB News

ウズベキスタンでM6.2の地震、キルギス住民「怖くて長かった ...

すでに時間が経ってしまったニュースだが、自分のブログに記録しておくためにも、記事をアップした。

この辺りは、キルギス隊員は配属されていないので、協力隊関係者では直接の被災はなかった。また、この地震のことを知って、日本から安否を尋ねるメールをしていただいた方もいた。ありがとうございました。

2011/08/10

病院への合いのり

私の配属先は、障害児者の訓練センター(のようなもの)で、週のうち三日、センターを開く。

村と言っても、端から端までで考えたら結構広く、毎回、子供たちが歩いてくるのは大変なので、センターのミニバスで送迎を行なっている。

このミニバスというのが、一般に走っている乗合いバスと同じような見かけなので、走っているとしばしば道にいる人が手を挙げて「停まって~、乗せて~」と合図を送ってくる。これは子供たちの送迎用のバスなので、通常は運転手は手を振って断る。

先日、道を歩いている夫婦と思しき男女の老人がバスを呼び止めた。結構高齢に見えたせいか、運転手もこの時はバスを停めてその老夫婦を乗せてあげていた。

どこまで行くのかと尋ねると、村の中心部にある病院までとのことである。センターのバスに乗せた所から、病院まで1.5kmくらいであろうか。その二人がどこから歩いてきたかは分からないが、仮に2kmかけて病院まで行くとする。行って帰って1時間半の道のりである。

いや、日本でも、好むと好まざるとそういう状況で通院することを余儀なくされている地域があるのだと思うが、この老夫婦を見た時に、そんな距離を歩くつもりでいる人たちが病院に行くとことがしっくりこない感じだった。

歩くことができても、内臓疾患とか眼病とか、医者にかかる要素はいくらでもあるから、おかしなことではないのである。考えようによっては、わざわざ1時間半かけて行かなければいけないほど、どこか悪いということかも知れない(こちらでは金のかかることをわざわざすることはないと思う)。こちらの人は、1時間くらいで行ける所ならば歩くのは仕方ないという生活を送っているから、老人といえでも4km程度の道は対して苦にもしていないのか。

それにしても、こんな感じで、知り合いではない老人を病院まで送っていくというのは、村ならでは光景だったかも。

2011/08/09

星空撮影

日本では、一眼デジカメを使っている人はもう珍しくなくなっている。ミラーレス一眼なんてのも出ている。カメラの機能がますます良くなっているから、カメラまかせできれいな写真が誰でも撮れる。

さて、私はというと、一眼デジカメはほしいと思いつつ、今回の協力隊参加に際して、新たに一眼デジカメを買うこともなく渡航してきた。持っているのはコンパクトデジカメのみ。

先日(8月6日~7日の夜)、そのコンパクトデジカメで星空撮影に挑戦してみた。

Canonのもっとも安いモデルだと思われるPower Shot A490というデジカメ。「長時間撮影」というモードがあるので、それの最高の15秒に設定し、カメラを固定してシャッターを押す。すると、こんな感じの写真が撮れた(クリックすると少し大きめの写真が開く)。

seiza

北斗七星も写っていたゾ!

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(やや画面端に切れてしまっているが…)

これはカシオペア座と北極星。

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コンパクトデジカメといえども、結構やりますな。というか、こんだけ星が撮影できるキルギスの夜がすごいとも言える。

交通事故

1ヶ月以上前のことだが、交通事故を目撃した。

ちょっと離れた場所から「ドシャーン、ガ、ガ、ガ」みたいな大きな音が聞こえて、そちらを見るとバンが横転していた。自分の用事があったので、すぐに野次馬で馳せ参じはしなかったが、1時間後くらいに見に行ってみると、

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バンはすでに起こされていて、前がご覧の通りに…。そして、離れた場所からは陰になって見えなかったのだが、もう一台別の車体が、車道から下に落ちていた。

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こちらも前がグチャグチャに。運転席がかなりえぐられていたので、これは前席に乗っていた人はダメだったんじゃないかと思った。翌日、村の人に聞いたら、やはり死者が出ていた。おそらくこの車の運転手だっただろう。

普段、村から別の町・村へ行く時はマルシュルートカ(ミニバス)やタクシーを使うが、有料高速道路がないこの国では、一般道でも最高120km/hくらいまで出す。幹線道路は基本的にアスファルトが敷かれているが、ところどころ剥がれて凸凹している。だから、ちょっとした操作ミスで対向車線に行ってしまうことはよくある。根本的にはスピードの出し過ぎが問題なのだが…。

それでも、想像するほど事故を見かけないのは、そもそも人口が少ないし、その中でも車の保有率は日本ほどではないから、走っている車は少ないからであろうか。

2011/08/02

くしゃみアンケート

ずっと前に当ブログ内に設置して、放置してしまっていた「くしゃみ」に関するアンケート。結果は以下の通り。 

くしゃみをした人から先に「すみません」と言う   3

周りの人が先に、くしゃみをした人に「お大事に」と言う  0

お互い何も言わない   1

定まったやりとりは特にない(そのときどき)  1