2011/01/03

キルギスの年越し③

(②から続き)

0時になると、通りでは、各家庭が事前に買い込んでいた花火を上げはじめる。ロケット花火や、打ち上げ花火、音がピィピィするものなど。打ち上げ花火なぞは、日本では一般人が店頭で買うことはできないと思われるような大きなのが上がっていた。

日本では当然、そんな花火を町中で打ち上げることはできないだろう。日本は木造建築が多い所ので、こんなふうに好き勝手に花火を上げていたら、必ず火災に発展するケースが出てくる。キルギスは基本的には土で家を建てているから、火の粉が降ってきても火災になる心配はない(そう言えば、村の中で消防局は見たことがない)。

ただ、餓鬼(あえてこう書かせてもらう!)が打ち上げ花火を人に向けて来たのは怖かった。大人は誰も注意せず。頼むよ、ホント!

筋違いの通りからも、ずっと離れた通りから花火が絶え間なく上がっていた。この光景を見て、私はマレーシアで迎えた新年を思い出した。マレーシアは華人も多くいることもあって、こういう祝祭の時には爆竹・花火の乱れうち状態となっていた。

私がいた2003年には、火災のもととなるので、爆竹・花火は禁止とのお達しが出ていたが、みんな普通にパチパチ、ドンドン鳴らしていた。

私事だが、昨年はオーストラリアいる友人に会いに行き、シドニーで年越しをした(のを思い出した)。観光船などの船着き場になっている所で仕掛け花火が上がっていた。こういうのは日本でも流行っているじゃないだろうか? カウントダウンイベントで、よく花火が上がっている映像を見る。

ひとしきり(10分ほど)花火をすると、近所の家の中に入っていき、そこで食事と酒がふるまわれた。続いてその隣の家にもお邪魔して、同様に食べ物と酒。この時点で食べ物はもう喉を通らないほど満腹になっていた。酒は注がれた分は飲まないとしつこく「飲め、飲め」と言われるので、飲まざるを得ない。

こうして自宅に戻ったのは1時。年明けと同時に近所同士が互いの家を訪問するというのは、何となく楽しかった。

その後、床についたが、0時前に1時間半ほど寝てしまったのと、中途半端に酒を飲んだせいで目が冴えてしまった(酒は微量だと覚醒作用もあるでしょ?)。電子辞書の小説を読みながら、しばらくすると眠りに落ちていたようである。

それにしてもこの日だけで相当な量を食べたので、胃腸はもたれていた。それと酒。キルギス人たちの飲酒文化については、あらためて別に書くつもりである。

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