2011/01/09

美味なる物は甘い

キルギス語の形容詞で「美味しい」は【даамдуу(ダームドゥー)】と言う。【даам(ダーム,「味」)】を形容詞化して「味がある = 美味しい」となる。ちなみに、これはロシア語でも同様で【вкус(フクース,「味」)】を形容詞化すると【вкусный】で「美味しい」となる。

日本語で「味がある」とか「味な~」と言うと、ちょっとニュアンスが違う。「あの役者はなかなか味がある」、「味なことをいう奴だ」みたいな、一種独特の存在感のある人物・言動に対しての形容として使う。食事をもてなされて、「ああ、この肉じゃがは味がありますねぇ」というのは誉め言葉にならぬ(むしろ喧嘩を売っているようなものではないか?)。

ところで、キルギス語では上記の【даамдуу(ダームドゥー)】の他に、【татуу(タットゥー)】というのも「美味しい」になる。これは「甘い」というのが元の意味であるが、美味しい場合にも「タットゥー」と言うのである。実際にキルギス人が話しているのを聞くと、こちらの単語のほうが使われているようにも思える(私の聞き取り力に頼った話なので、心許ないが)。

「甘い」と「美味い」を同じ言葉で表現するのは変な気もしたのだが、よくよく考えてみると、漢字の「甘」にも「あまい」と「うまい」の両方の字義がある(念のために漢和辞典で調べたので間違いない)。漢語には【甘食(かんしょく)】という「美味い物」を表す熟語があるようだ。これは初めて知った。

想像するに、その昔は甘味料というのは貴重品で、甘い物はめったに口にすることができない珍重品であったのではなかろうか。だから、甘い物は人々の憧れであり、甘い物はすなわち美味しい物と同義となったのではないか。余談だが、芥川龍之介の『芋粥』はちょうどそんな話であった。

「甘食」にはもう一つ、「食を甘し(あまし、うまし)とする」と読ませて別の意味もある。「どんな物でも美味いとして食べる」ことだそうだ。

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