2010/12/12

「年賀状」について考える④

昔、「プリントごっこ」という簡易印刷機があって(今もあるとは思うが)、年賀状作成の必須アイテムだった。版を作ると、それで何十枚、何百枚と印刷ができる機械だった。当時は、結構な数の家に、年賀状のためだけにプリントごっこがあった。今はパソコンがそれに取って代わった。

プリントごっこの前は、ガリ版だったのだろうか? まあ、芋版あたりは、私も小学生の頃に作った記憶がある。今も版木で年賀状を刷っている人もいるだろうが、それは本当にひと仕事である。もらうほうも「今年はこんな柄を彫ったんだな」と思いながら手にすることになる。その差出人にとっては、いわば年に一度の作品発表の場であろう。

昔の手作りでしか年賀状が作れなかった時代は、手の込んだものは一目瞭然だった。細密な版画、あるいは多色刷りの版画など。プリントごっこ隆盛になり、誰でも簡単に年賀状の大量印刷ができるようになったが、「プリントごっこ職人」とでも言えそうな人のものは、やはりひと味違うと感じさせるものだった。

ここ十年くらいは、テンプレート(ひな形)を使って、差出人住所・名を入れるだけで、見栄えのよい年賀状が誰でも作れるようになったから、どれも大差なくなっている。今の時代の年賀状職人は、賀状の図案、書くコメントをいかにインパクトのあるものにするかが腕の見せ所だろうか。

今は、パソコンで簡単に凝ったものが作れるから、逆に、黒ボールペンだけで「今年もよろしく」程度の年賀状はインパクトがある(まあ、そういう友人は毎年そういうのを出してくるんだが…)。

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