2010/12/12

「年賀状」について考える③

年賀状で一番困るのは、こちらが出していなかったのに、向こうからは出された場合ではないか。「あ、●●先生に出すのを忘れていた」。これが、一番肝を冷やす時である。恩師にこちらから出し忘れていたのに、向こうからはいただく。私のような無礼者でも、これは失礼だとわかる。慌てて、言い訳を添えて年賀状を出す始末である。

次に困るのが、既に付き合いのない人、もう付き合うことのない人から、思いがけず送られてくる場合である。そういう相手には、年賀状をいただいても返さずにおく。申し訳ないが、そうでもしないと、お互い意味のない年賀状のやりとりが翌年以降も続いてしまうからだ。

年賀状だけのお付き合いというのも、それはそれで風情があるのかも知れないが、今のようにパソコンソフトで年賀状を作っているような状況を考えると、相手も登録した住所を今年も一斉に印刷しただけだろうと思わずにはおれない。この辺、私が中・高校生だった頃までは、手書きで宛先を書いていたから、ちょっと意味合いが違った。

今は、年賀状は出さぬ代わりに、年賀メールの時代である。「明けおめ」メールなる、ある意味、猥語スレスレの風習が一般化し、1月1日0時には、携帯会社はサーバーがパンクしないか毎年大変なようだ。

1月1日に年賀状を送らなければならない必然性はまったくないのだが、年賀状をイベントごととして設定しておくことで、しばらく連絡の絶えた相手ともこのタイミングで連絡を取れるという知恵が込められているのかもしれない。

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