2010/11/15

途上国の食事は貧しい。それホント?

『獄中記』がらみで食べものの話をして、ついでに思い出したことがあったので書き加える。

花輪和一という人の『刑務所の中』という漫画のなかでも、大杉栄の書いたように、刑を終えて出所したら何を食べたいかと、受刑者同士で話してウットリする光景があったのを思い出した。他にも正月に出るという甘納豆を思い出して垂涎したり…。とにかく面白い漫画だった。一年に一度は読み返している。

さて、その漫画の中で、主人公が刑務所の、いわゆる“臭い飯”を食べながら、実はこれほど健康的で、美味い食事は世の中にはない、と独白するシーンがある。「世間の奴らは、もっと美味いもの、もっと美味いものと追いかけているうちに、本当に美味いものがなにか分からなくなってやがるんじゃねぇか」みたいなことを心につぶやきながら、麦の混じった飯をよーく噛み噛みして味わうのである。

日本というのは、食べもののバラエティは豊富で、品質は上等。本当にいいものを食べてると思う。金さえ出せば、世界中の色んな食材・料理を味わえる。これはすごいことだ。

だが、その生活に慣れ親しんでいるうちに、「もっと美味しいものがあるんじゃないか」という脅迫的にグルメを追い求めるような社会になっていやしないだろうか?

どこそこの店が美味いからと仲間と連れだって食事をしに行く。美味い、美味いと食べながら、食事が一段落してから、別のどこそこの何々の料理が美味かっただの、どこそこに珍しい料理を出す店があるだのを話題にしている。まだそのテーブルに座ったままだというのに! 私自身、自分でやりながらゾッとしたことがあるが、それって本当に食事を楽しんでいたんであろうか? 何よりも、今食べ終わった物への敬意も感謝もないではないか。

協力隊の行っている国・地域の多くは、日本と比べれば食材が限られていたり、好きな物が好きな時に食べられるとは限らなかったり、という環境である。では、その国・土地の人は我慢して食生活を送っているかというと、その土地々々のもので、美味しく食事をしている。
(もちろん、この世界には、協力隊が派遣されないような過酷な環境で、食べる物にも事欠いて生活している人たちもたくさんいる。協力隊が派遣されている地域は、基本的には安全で一定の物資が手に入るということはある。「途上国に来た」と言っても、本当に最貧の社会は見ていないのも事実だ。)

今、目の前にある物に感謝と満足をして、食事をする。対して、食事を終えてすぐに次は何を食べようかと思案する。満足度の点で言えば、前者のほうが点数が高い。

食事の満足というのは相対的な価値基準ではなく、自分の中にある価値基準なんではなかろうか。

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